072『大阪』ON THE ROAD AGAIN
冨士夫はライブが大好きだった。
それが生き甲斐だったのかも知れない。
そのくせ、人見知りで気が小さい。
だから、ライブが近づいてくるにつれて、
だんだんと不安定になっていくんだ。
「今度のツアーは大阪からだよな」
リハーサルスタジオで、
ギターをケースにしまいながら
ひと息ついた冨士夫が訊いてきた。
“ そうだけど ”と答えると、
ソワソワしたように何かを考えている。
ステージに向かうスイッチが入ったのだ。
ココからは気をつけなくてはならない。
とんがった鉛筆の芯を折らないように、
そんな気持ちになってくる。
1990年最初のライブは大阪だった。
4月6日の『アムホール』。
´89年の12月以来だから、
実に4ヵ月振りのステージである。
アルバム『Mixin Love』ツアーの
初っぱなを大阪にしたのは、
勢いをつけたかったからだ。
大阪のオーディエンスはとにかくノリがイイ。
他のシーンではどうなのか知らないが、
ウチのライブではいつもテンションが高かった。
何というかラテン系なのだ。
TEARDROPSのメンバーもみんな、
大阪がお気に入りである。
特に買い物好きの冨士夫なんかは、
心斎橋にあるアメリカ村に行きたがる。
「なんだよぅ、ファッションだとか、
レコードだとかを、チェックすんだろ〜が」
な〜んて息巻くのだが、
とどのつまり、単に買い物好きなのだ。
ほうっておくと、商店街の中で
2〜3時間さまよっていることがある。
行きがかり上、付き合ったことがあるが、
何の用もないのに一軒一軒見て回るのだ。
鼻歌こそ出てないが、実に愉しげなのである。
「トシ、この先にあるサテンで待っててい〜ゼ」
所在なげに付いて廻る僕がウザイのか、
てきとうなところで遠ざけられる。
カフィでも飲みながら待っていると、
暫くして、両手いっぱいに袋をさげた
冨士夫が現れたりするのだ。
早い話、買わされちゃうのである。
相手はラテン系の関西商人。
一人にしてしまったことが悔やまれる。
いっぽう、ドラムの佐瀬は食い道楽だ。
神戸ではステーキ屋に連れ込まれた。
京都の南禅寺あたりでは湯豆腐を。
名古屋の酒盛りあとは、
いつもミソでシメるのだ。
だからって、グルメってわけではない。
ご当地の味が気になるヒトなのである。
当然、大阪では食いだおれたいと思うのだろう。
「どこか、旨いとこ 知らね〜か」と、くる。
“いいえ、知りません。東京もんですから”
そう答えるオイラの横から、
カズがいじわ〜るそうに覗き込んで、
「食いだおれ横町にでも行って、
思いっきり喰って、
ぶっだおれちゃえばいいんじゃん」
みたいなことを言う。
「あンだよ、カズ! ほんなら一緒に行こーぜ」
ってことになるのに決まっているのだ。
コチラも巻き込まれて、
出かける支度をしていると、
いつの間にかイナセな青ちゃんが
ホテルのロビーで待っていたりする。
「俺が案内してやるよ」
何故か青ちゃんは大阪に詳しかった。
(何故だろう…?)
そう言う青ちゃんに導かれて、
みんなでミナミの繁華街に向かうのだった。
なんだかんだ言いながらも、
人数が多いと結局は居酒屋系になる。
考えてみたら、たこ焼きだって、
回転寿司だって、しゃぶしゃぶだって、
大阪が発祥地なのだ。
大阪は昔から「食いだおれの街」。
「天下の台所」だし、
食へのこだわりが格別に強いのである。
しこたま喰って飲んでホテルに帰る。
定宿は、梅田にある関西ホテル。
今はどうか知らないが、
当時は大人数が泊まるのに
ココがちょうど良かった。
シングルから4人部屋まで取り揃えてあるからだ。
だけど、幾つかのミステリーもあった。
スタッフのオオジが部屋に来てくれと言うので、
階が違ったのでエレベーターで向かったら、
廊下の曲がり角でオオジが待っていた。
「何事もなかったですか?」
と聞くので「別に」と答えると、
「そうか…」と残念そうなのだ。
何かが廊下にいるのだそうだ。
あわてて薄暗いライトの廊下を
見渡したが何も見当たらない。
「気持ち悪いな。部屋を替えようか?」
と聞くと、
「別にいいです」という答え。
なんて強いヤツなんだ、と感服した。
部屋に戻り寝ようとしたのだが、
その夜は、それから眠れなくなった。
目には見えないが、
何かがドアのコッチに居るのである。
自慢じゃないが、僕は普通に霊感がある。
これまでに見た事は数回しかないが、
感じる事はよくあるので、
その夜も取り憑かれちまったというわけだ。
翌朝、オオジに
「あれからど〜した?」
と聞いたら、
「居なくなりました、よく寝ました」
と言って、さわやかに笑うのである。
まことに得体が知れない出来事だ。
そういえば、得体が知れないといったら、
僕にとっては酔っぱらったときのカズほど
不可思議なヒトはない。
急に偉そうになって絡んでくるかと思うと、
しゅんとして情けなかったりもする。
ある夜更けに、ホテルの廊下を歩いていたら、
何やら、うす〜いうめき声が、
廊下を曲がった向こう側からしてきた。
感じることはあるが、
見えたり聞こえたりは珍しいのだ。
さすがにコワいので、恐る恐る行ってみると、
ドアが少しだけ開いていて、
そこから人首だけが“にゅっ!”っと覗いている。
瞬間、身体が“ビクッ!”っと凍り付いた。
“ でたっ!”
…しかし、よく見ると、
見慣れた生首である。
“ カズによく似ている ”
どころじゃない!カズだ!
「何してンだよ!カズ!死んぢまうぞ!」
そうどやしながら、ドアを開けて
挟まってる首を解放した。
危ないところだったのだ。
酔っぱらいもほどほどにして欲しい。
“ なにやってるんだよ!”
咳き込んで声が出ないカズを
ソファに座らせて聞いた。
「わかんねえよ…ずっと声が出なかった…んだ」
切れ切れのかすれ声でつぶやく。
「わかった。もう寝てくれ」
そう言ってカズの部屋を後にしたのだが、
ん? 声が出なかったって?
“ じゃあ、あのうめき声はナンだったんだよ”
と思ったりもしたが、すぐにかき消すことにした。
ときにはやり過ごすほうが賢い。
そんなこんなで、
関西ツアーには愉しい思い出が満載なのだった。
モータープールが駐車場だとは知らなくて、
車列の向こうに幻のプールを探したことも、
ついでにここで告白しておこうと思う。
さて、このときの『Mixin Love』ツアーだか、
大阪のあとに、名古屋のクアトロを経て、
新宿のパワーステーションへと続く。
大阪で勢いをつけて、
名古屋でまとめあげ、
東京で爆発してしまえ!
というアイデアだったような気がする。
それは1990年の春。
TEARDROPSは、ここからが勝負だった。
会場はキャパの違いこそあれ、
どこも満杯状態である。
ライブ好きなくせにデリケートな冨士夫が、
煙草の煙を漂わせて行き過ぎる。
「思いっきり、いこうぜ!」
それを合図にメンバー全員がステージに向かった。
一瞬の間をおいて、
割れんばかりの歓声が響きわたる。
“ 大阪は、やっぱりラテン系だな ”
そう思いながらステージサイドの幕を開けた。
瞬間、まばゆいばかりのステージライトで、
何もかもが真っ白に吹き飛んだようだった。
(1990年4月)