075『ムッシュ・かまやつさん/NO NO BOY』Mark Cass & ムッシュ ♪ No No Boy
ムッシュ・かまやつひろしさんとは、
ほんの少しだけだったが、
関わりを持てた時期があった。
よく、その数少ないエピソードを
これ見よがしに自慢したものだ。
“ い 〜 だ ろ 〜 ”ってな感じである。
それを聞いて羨ましがるのは冨士夫である。
実は、彼はかまやつさんの大ファンだった。
中学生のころはスパイダーズを観るために、
阿佐ヶ谷から銀座まで、
歩いて往復したのだという。
小遣いが足りなかったんだから仕方がない。
それほどまでに好きだったのだ。
僕がかまやつさんと関わりを持てたのは、
大口さん(大口広司)つながりだ。
2人は昔から仲が良い。
だから、大口バンドにゲストで
入ってもらっていたのだった。
流れで説明すると、
EMIでの『山口冨士夫/アトモスフィア』
の録音が発端になる。
そのプロジェクトが終了して、
冨士夫以外のメンバー全員が、
そのままバンドとしての
活動を続けることになったのだった。
ドラムの大口さんを中心に、
ギターに加部(正義)さん、
ベースにミチアキ(鈴木ミチアキ)、
キーボードに篠原信彦さん、
という豪華な4人が集うのであるが、
いかんせんヴォーカルがいないのだ。
それで、かまやつさんの御登場とあいなる。
もう一人、桑名晴子さんが
華を添えてくれることも多かったのだが、
バンドはいまいち方向が定まらなかった。
それでも、メンバーの知名度だけで
どこにでもブッキングができた。
イメージだけでどこまでイケルのか?
“せーの!”で、ボートを押し流して、
勢いのままに進もうとしたのである。
そんな中、大阪にある某有名ディスコの
ハロウィン・パーティーに呼ばれたことがある。
少しばかり多めのギャラを提示しても大丈夫だった。
とにかく行っちまおう、ってんで、
メンバー全員で新幹線に飛び乗った。
時間を気にしないかまやつさんも、
この日ばかりは遅れずに来てくれた。
それどころか大阪までの3時間、
とめどもなく喋り通しなのだ。
簡単な本なら軽く一冊できてしまうところだ。
スパイダース時代のエピソードや、
芸能界の裏話をもトッピングして
面白可笑しく披露してくれる。
とても、ココでは書く事ができない
センテンス・スプリングな内容満載だ。
大笑いしているうちに、
あっと言う間に大阪だった。
そして、「続きはまた、帰京のときに」
とか言ってのムッシュ・スマイル。
メディアで見ているまんまの
かまやつさんがそこにいた。
さて、ホテルにチェックインしたら、
そのままディスコに入りリハーサルをした。
この日のリハは、かまやつさんからだった。
「先にやっちゃってさ、神戸まで行って来るよ」
と言うのだ。
今しがた大阪に着いたばかりなのにである。
神戸のチキンジョージに用があるという。
何かと忙しい人なのだと想う。
いつもどこかで誰かに呼ばれている人なのだ。
「何時に戻って来ればいい?」
と訊かれたので「21時くらいで」と答えた。
そのくらいなら、ステージの後半だ。
かまやつさんが出てきて、
ドッかーん!っと盛り上がった
勢いでの終演も美しい。
本番のステージ自体は上々のデキだった。
大阪人ってのは、楽しむときのノリを心得ている。
そう想えるほどに何の心配もなかった。
かまやつさんは涼しい顔をして、
ほんとうに21時ピッタリに
ステージサイドに現れた。
大口さんがドラムからバックステージを
振り返り合図を送ってくる。
そのタイミングでかまやつさんが
ステージに上がった。
踊りまくっていたオーディエンスたちの視線が
歓声と共に一斉にステージ上に集中した。
とたんに、かまやつさんのギターが、
軽快なブギーのリズムを刻み始める。
ミラーボールとストロボ照明の中、
男女が魚のように跳ね回っていた。
ハロウィンでも何でもいい、
何もかもが真っ白になる快感が
舞い降りる瞬間だったのだ。
ステージの終了後に
打ち上げ場所に行こうとしたら、
着替え終わった大口さんに呼び止められた。
「ギャラを先にもらってきたほうがいい」
っと、言うのだ。
きちんとトッ払い(当日払い)の約束をしていたので、
コッチはのんびりと構えていたのだが…、
「早めに払ってもらったほうがイイと思うよ。
もし、振込にすると言われたら要注意だ」
そう言って、大口さんは、
“ピクリ”と、目を吊り上げた。
百戦錬磨の大将の言うことだ、
従うことにしよう。
その足でビルの上の階にある
事務所のドアを叩いた。
“お世話様です。
今回はどうもありがとうございました”
なんて、いつもの挨拶をした後に、
おごそかにギャラ話に触れる。
すると、いつもは関西弁の店長が、
この時だけは標準語で、
「月末の振込でよろしいですか?」
と、いきなりきた。
“大口さん、ピンポンです!?”
と、思わず心の中で呟いた。
いやぁ、この展開を見抜く
大口さんの眼力がオソロしい。
まぁ、そのあとスッタモンダがあるのだが、
結果的にはギャラをゲットして
打ち上げをしている店へと急ぐ。
大阪はミナミにある、
ちょっとシャレた飲み屋。
グリコの看板の下を
同じように走りながら店に着いた。
「大口さん、何でわかったんです?
振り込むって言われたけど、
無理矢理にその場で払ってもらいました」
店の奥の方で早くも揺れている
大口さんを見つけて分厚い封筒を渡した。
(当日の入場料をかき集めてきたので
千円札ばかりなのである)
大口さんはバーボンの氷を
その球体にそって指で回しながら
“ヒクッ”っと、目を吊り上げて言った。
「客入りが八割方だったからな。
このギャラは満杯じゃないとつり合わないんだ」
そう言いながら髭のある口もとを
“ニヤッ”っとゆるめるのだった。
“ な る ほ ど ”である。
振込になると、なんだかんだと後付けされ、
ギャラが半減することもあるのだとか。
「ところで、かまやつさんは?」
店のなかに居ないことに気がつく。
「どこかに行ったよ、何かあるんだろ?」
大口さんが外国人のように
大きく両手を広げて首をひねった。
自由人、かまやつさんは
いつもどこかに消えちまう。
大口さんに言わせると、
それは、昔からずぅ〜っと、だそうだ。
スパイダースの弟分のテンプターズ、
大口さんがアラン・メリルと一緒に作った
『ウォッカコリンズ』にも
かまやつさんは参加している。
だから、ツアーのときのホテルはいつも一緒。
グループ・サウンズ時代は
部屋も一緒ということが多かったらしい。
「一度、あとをつけたことがあるんだよ」
そう言って、大口さんが顎を撫でた。
サスペンス・ドラマでもあるまいに。
酔いどれ刑事に扮した大口さんが、
店から先に帰って行くかまやつさんの後を、
加え煙草で、そっとつけていく姿を想像した。
「そしたらさ、何て事はない、
ホテルに戻って行くだけなんだ。
なぁんだって思って、
そこらで一杯ひっかけてから
コッチも戻ったんだけどね……」
「……で?」
「で?って、……続きが聞きたい?」
「聞きたい……です」
「じゃあ、もう一杯呑もうや」
そう言って、大口さんはボトルごと
カウンターからかっさらってきた。
それを、音をたててグラスに注ぐと、
“グビッ”っと、喉に流す。
「俺の部屋はかまやつさんの隣りだったんだけどさ、
部屋に戻ったらナンやら色っぽい声が聞こえてくるんだよ。
お隣りからね。思ってもみないだろ?
誰だってヤバいって思うよね。
もっとゆっくり戻るべきだったって、そう思った」
「かまやつさんも、隅に置けない………」
「だろ? 俺もそう思ったよ。
また、声がでっけぇんだ、その女がさ、
10分くらい続いたかな!?
とたんに静かになってさ」
その後は、逆に物音ひとつ
しなくなったらしい。
話し声を聞こうと、
しばらくは壁に耳をつけたのだが、
ナ〜ンも聞こえなくなってしまったのだと言う。
「若かったからね、俺も悶々としちゃってさ。
どうしてくれようか!?って、
テレビの2チャンネルをつけたんだ」
(AVなんてない昔は、ビジネスホテルや
旅館の2チャンネルでポルノ映像を流していた。
ただし、20分100円の有料である)
「するとさ、いきなりの場面から始まってさ、
女があられもない姿で喘いでいる。
“おおっ!”なんて、画面に喰いついたら、
“アレッ?”この声、聞いた事あるぞ!?って、
バカヤロ!たった今、聞いたばかりじゃねぇかって(笑)」
それを聞いていた
周りのみんなも“どっと”沸いた。
ひとしきり呑んだら、
シメは蕎麦かラーメンで。
ってゆー感じで、
ホテルに帰る途中で見つけた
立ち食い蕎麦屋に寄ったら、
とぼけた顔した、かまやつさんが居た。
“バンバンバン”である。
「何処に行ってたんですか?」
そう聞くと、ニタリと笑って
何も言わずに出て行ってしまった。
そんな大阪のハロウィンな夜が、
僕の中には残っている。
それからしばらくして、
大口バンドは『アムリタ』に本拠を置いた。
『アムリタ』というのは、
93年当時、西麻布にあった内緒の店である。
看板も入り口も目立たぬように隠している。
しかし、店内は広くて洒落ていた。
芸能人やメディア関係者がくつろげる
秘密のスペースを作ろうというコンセプトで、
建築家だったSさんが始めた店だった。
PAもないので、大口バンドは生で演奏した。
内容はますます即興性をおびて、
チャージは帽子を廻す投げ銭方式、
客は個性的な業界人が多かった。
そんな中、かまやつさんが
自身のマネージャーと
年末のスケジュールを
詰めている場面に出くわした。
どうやら、ディナーショーをやるように
かまやつさんが説得されているようだった。
そういえば、そんな時勢であった。
グループ・サウンズや
ニュ−・ミュージックのアーティストたちは、
このころ、こぞってディナーショーで
稼ぎ始めていたのだ。
かまやつさんのマネージャーも、
それでイッキに年を越そうと思ったのだろう。
端から見ればうなずくところではある。
しかし、かまやつさんは、
ハッキリと断っていた。
がっくりしたように下を向いて
マネージャーが帰って行くのを見て、
かまやつさんに声をかけた。
「どうして(ディナーショーを)やらないんですか?」
「俺には100人のコアなロック・ファンがいるんだ」
わざわざ隣りのテーブルから、
コチラに移って来ながら、かまやつさんが言った。
「例えばの話だけどさ、何人いるかは別にして
俺はそいつらを裏切ることはできない。
彼らにとっては俺はロッカーだし、
俺がロックを続られるのも、
そんな彼らのおかげなんだって思っているからね」
聞いてて、思わず冨士夫を思い出した。
ロッカーは、どこまでも潰しがきかないのだ。
年を喰うとシャレた音楽家に変身したり、
角を削り落として音を描くロッカーがいるけれど、
その根っこの部分ってなかなか見えにくい。
冨士夫が、かまやつさんの事が好きなのも、
自然とそんなところが解っちゃうところなんだろう。
「かまやつさんの曲では、何が好き?」
ずっと、後になって
冨士夫に訊いたことがある。
「もちろん、NO NO BOYさ」
そう言って、少し口ずさむ……。
冨士夫の状態がどうしようもないときだった。
どうしても、アルコールを抜くことができない。
そんな、ついこの間にも想える時だった。
何かやりたいことがあるかと聞いたら、
『NO NO BOY』を録音したいと言い出した。
かまやつさんと一緒に
スタジオに入りたいと言うのである。
サミー前田に事務所の番号を聞いて、
電話をしてみた……、留守電だった。
そこで、もう少し待とうと思った。
冨士夫はとうてい録音を
できるような状態じゃなかったし、
かまやつさんの困ったような
人の良い笑顔が想い浮かんだからだ。
もう少し待てば酒が抜けるタイミングもあるだろう。
その時に即行でかまやつさんにお願いして……。
そう想っていた日々の中で、
冨士夫のアクシデントが起きたのだ。
これは、今でもとても後悔している。
もしかしたら、今頃、
冨士夫自身でかまやつさんに
会いに行っているのかしら?
ノーノーノー ボーイ
いってもいいかい?
………なんてね。
ほんとうに、冨士夫はかまやつさんが好きだったんだ。
【心からご冥福をお祈りいたします】
(1992〜3年)