078『入学式/春の光と風』 みどりの中へ

やっと暖かくなってきた。
春である…。

もうすぐ、蝶々がひらひらと舞うのだろう。
子供のころは、その風景にワクワクしたものだ。
しかし、大人になっていくにつれて、
浮かれてばかりもいられないことに気がつく。
そして、最近では越冬したことにさえ一息つきたくなる。
そんな、クマのような気分に一瞬たじろいだりもするのだ。

でも、まぁ、それはそれで、
少しばかり誇らしいのだが…。
(どこが?…だ)

そこに、まだまだワクワク気分の、
高校2年になる娘が訊いてきた。

「父さんが私くらいの頃(高校時代)はどうだった?」

こーゆー質問がいちばん困る。
どうだったもへったくれもありゃしない。
そもそも、僕のばやい、
学校そのものに興味がなかったのだ。
できることなら行きたくもない。
いうなれば、クマのように
ずっと森の中にいたい気分なのだ。
だけど、サッカーの強豪校が誘ってくれたので、
一応、のんべえ親父に相談してみた。

「なんか、俺、サッカーの才能があるみたいでさ……」

親父も高校の時は400メートルを
50秒で駆け抜けた記録を持っている。

「それは俺からの遺伝だ、自分のを使え」

という不条理な理由でNGをくらった。
アスリート入学は許されなかったのだ。

そんな思い出がこみ上げてきて、
思いがけず咳き込んだ。

“ ゴホゴホゴホ!”

「おとう!(娘は僕をこう呼ぶ)
大丈夫か? へんなこと訊いた?」

心配そうに覗き込んでくる。

「ちょっと花粉が飛んでるね」

なんて、花粉症になったこともないくせに、
バレバレでとりつくろうダメ親父。

それでも何かを話さなきゃならない。
それも、なるべく上から目線ではなく、
説教じみた内容は避け、
途中で腹を抱えて笑う場面も入れながら、
最後には「頑張ろうよ」って、
ビルドアップして、
10メートル先を見て歩むおとぎ話。

そんなもん、あんのか?

すると、よみがえってきたのだ。
遥か昔、僕が中学3年のときに体験したよもヤバ話が…。

…………………………………………

あのときは、サッカーも区大会で負けちまって、
な〜んもなくなった犬のような気分の時だった。
周りは受験一色だったが、
快楽主義の自分には、
どうしてもその色が想いつかない。

そんな虚無感の中で下校時の公園を歩いていたら、
向こうからヘンな奴がやって来た。
それは、前からよく見かけるヘンテコ野郎だった。
木立の中をフラフラと彷徨うイカレタ奴。
僕たちはソイツのことを、
いつも囃し立てながら笑い者にして、
からかっていたのだった。

しかし、今日は僕ひとりだ。
からかうより、好奇心のほうがぷ〜っと膨らんでいく。
案の定、ソイツはいつものように
奇怪な行動をとり始めた。
自転車を走り降り、木にぶつかり、肩で息をしている。
倒れた自転車には目もくれずに、
二三歩フラフラと歩むと宙を向き、目を閉じる。
それでも身体はユラユラと揺れていた。
頭のおかしなインディアンみたいだ。
いや、新種の変態なのかも知れない。

「何してるんですか?」

思い切って声をかけてみた。
突然にそうしてみた自分にも驚いている。

男は、ビックリしたようにコチラに向き直った。
そして、蚊トンボのように細く小さな身体をよじらせ、
ベンチのほうに向かうと同時に言ったのだ。

「少し話そうか、座ろうよ」

その雰囲気に少し安心した。
何だか嬉しそうだったからだ。
そこで、自己紹介の代わりに、
彼の奇怪な態度についての
説明を聞くことになるのだ。
彼にとっても、周りが自分を見る奇異な目線は、
刺さっていたのかも知れない。

男の見た目は蒼白くて、
いかにも不健康そうな雰囲気を醸し出してたが、
話を聞いてみると、変態でも何でもなかった。
その奇怪な行動のワケは、
極端に弱い身体のせいだったのだ。

「僕は、肺が四分の一しかないんだ」

それは、生まれつきの障害なのだそうだ。

しかも、彼は音楽家だった。
公園では、作曲をしているのだ。
蝶々のようにヒラヒラとていたのは、
そんなメロディが浮かんだときなのかしら?
なんて想ったりした。
そんなに長い時間ではなかったが、
こうして話をしている事そのものが、
木立の光と風の中で、
不思議な体験をしている気分に想えてくる。

その時、突然にザザーっと風が吹き、
木の葉が木漏れ日の中に舞い上がった。
それが合図のように、腰を上げた男が訊いてきた。

「おなかすいてない?」

自慢じゃないが腹はいつだって空いている。

「おごってあげるよ」

その言葉に素直に腹の虫が鳴く。
公園の坂を降りたところにラーメン屋があった。
おばちゃんが一人でやってる店で、
僕は部活をサボって時々そこに行っていた。
そんな不良にも優しい優良店であった。

気が変わらないうちに、
男をそのラーメン屋に連れて行く。

「みそラーメン、大盛りで」

「同じものでお願いします」

ここのみそラーメンの大盛りは特大だった。
麺の量もハンパじゃないが、
その上にマッターホルンのような
モヤシの山が乗っている。

“ この大盛りとどう向き合うのかな? ”

と思って見ていたら、
なんと、男は
マッターホルンどころか、
麺を1〜2本食べただけだ。

あっという間にたいらげて、
ジッと凝視している僕に気がついて、
恥ずかしそうに男が言った。

「食が細いんだ、良かったらコッチのも食べてくれるかい?」

まったくもって細いにもほどがある。
大盛り二杯なんてとてもじゃないが無理、
なんて思いながらも
うっかり完食をしてしまった。
腹がいっぱい過ぎて、
草原で寝転ぶ牛のような気分になっていると、

「これ、ウチへの地図なんだけど」

と、メモを渡してくる。
そういえば、必死に喰っている
僕の前で何やら書いていたのだ。

「今度の日曜、僕の誕生日なんだ。来てくれない?」

なんて、ヘンな展開になってきた。

「誕生日?……なの?」

くったくのない男の笑顔を前にして、断る術もない。
何で行くのかさっぱりわからないままに、
僕は男の誕生会に行くことにした。

…………………………………………

「おとう! それってホントの話なの?
今、思いついたりしてないよね?」

ここまで話したところで、
娘が保安課の刑事のような目つきでコッチをを見た。
確かに僕は話しているうちに、
風船オジサンのようになって、
(話が)何処までも飛んでいっちまうクセがあるが、
この話はほんとうなのだ。

「まぁ、聞きなさい」

暖かくなってきたので、
庭に面したガラス戸を少し開け、
話の続きを始めた。

…………………………………………

次の日曜日、地図に書いてあった教会に行った。
そう、目的地は教会だったのだ。

「12時にそこに迎えに行くから」

男がそう言っていたのは下井草教会。
駅の北口から15分ほど行った住宅街にあった。

着いてみたら、
教会の前で待っていたのは男ではなく、
銀髪をした外国人の神父さんだった。
名前を確かめると、
男が待っている部屋へと案内された。

部屋は教会の裏手にある屋根裏部屋だったが、
そこへ行く道すがら神父さんが、
男のことについて少し話をしてくれた。

実は、男は教会の前に置かれていた
捨て子だったのだという。
生まれつき病弱で肺が悪く、
学校にはまったく行ったことがないのだそうだ。
ゆえに実際の誕生日はわからないのだが、
「この日曜にパーティをしてくれ」と、頼まれ、
「初めての友達が来るから」と言ったのだそうだ。
それが僕である。

男の部屋に入ると、
彼は子供のように歓迎してくれた。

見たこともないくらいシンプルな屋根裏部屋。
西日の差す出窓からは、
ザワザワとした銀杏の木が覗いている。

そこに神父さんが
バースディケーキを持って来てくれた。
ロウソクの数は21本だ。
僕よりちょうど6歳ばかり
兄さんということになる。

そのあと、どのくらいそこに居て、
何を話したのか、ぼぅっとした霧の向こうなのだが、
彼が話したポイントだけは憶えている。
もうすぐウィーンに留学するというのだ。
いよいよ本格的に音楽を勉強するのだという。
いきなりのバースディは、
いわば送別会でもあったというワケである。

別れ際、大事な事を忘れているような気がして、
笑顔で見送ってくれる彼に訊いた。

「そういえば、どんな音楽をやってるの?
一度、聴きたかったな」って。

すると、彼はこう答えた。

「君はもう僕の音楽を聴いてるよ。
あの時、公園のベンチに座ったときに触れた光や、
木漏れ日や、風の音が僕の創りたい音楽なんだ」

僕は、そのベタな言葉に単純に共鳴した。
あのときの不思議な感覚は、
彼の奏でていた音楽だったのかも知れない、
そう想ったからだ。

少し疲れたという彼を部屋に残し、
神父さんが教会の門まで送ってくれた。

「今日はどうもありがとう」

という別れ言葉の尾ひれに重い言葉を乗せる。

「彼とはこれが最後になるでしょう。
もともと今も生きていること、
それ自体が奇跡なのです。
身体が限界を超えているので、
最後の望みを叶えてあげるために
ウィーンにある系列の教会に行くのです」

…………………………………………

「なんか、マンガみたいな話だね」

現実的な娘は、いぶかしげな目を向ける。
オレンジをほおばりながら爪を切っていた。
(器用なコだ…)

「ちゃんと聞いてる?」

「聞いてるよ。ハイ、続けて」

そう捉されて、

「ここからが大事なんだからね」

と言うと、

娘は、右手で“ ど〜ぞ ”っと合図するのだった。

…………………………………………

教会に行ったその日から、
僕の中で何かが変わった。
彼のお陰で「色」が見えたのだ。
それは想像の中で生きていくのも
アリなのだってこと。
そう想い、ソレが出来る高校を探したのだ。

そして、ちょーど良い学校を見つけた。
高専である。
5年制なので大学受験をする必要もない。
ここのデザイン科に決めよう。
すったもんだしながらも試験に合格をし、
晴れて入学式を迎えることができた。

入学式の日。
母親が着物を着て嬉しそうにしている。
そりゃあ、嬉しいだろう。
早くも15かそこらで放浪するのかと
諦めていた長男が、
晴れて桜の木の下で
これからも勉強を続けると
ピースマークを送っているのだ。

「アッチで記念写真を撮ろうぜ」

一緒に入学した悪友が正門のほうを指さした。
そういえば、入試の時もこの学校には
いつも裏門からばかり入っていたので、
ついぞ正門に来たことがなかった気がする。

悪友と二人の母親とで、交互に記念写真を撮る。
コチラが撮られる順番になり、
ファインダーに向かって笑顔を決めていると、
カメラの向こう側に
どこかで見たことのある景色が映った。

“ …… 教 会 だ ”

入り口にある大きな木に見覚えがあった。
すると、突然にザザザ!っと、
突風が吹き、大木を揺らした。

僕は、カメラを構える悪友をすり抜け、
正門の斜め前に位置する
教会の門をはいって行った。

「おい、どこに行くんだよぅ」

悪友の声を背中に聞きながら、
教会の庭の奥のほうで、
花壇に水やりをしている
銀髪の神父さんに向かって進んで行った。

すると、コチラに気がついた神父さんは、
「やあっ」っというように片手を上げた。

「この高校に入ったんだね」

「いやぁ、ほんと、偶然なんですけど」

すると、神父さんは、満面の笑顔で言うのだった。

「いやっしゃい、待ってましたよ」って。

…………………………………………

実をいうと、自分でもこの話が
妄想話に想えることがある。

これまでも思い出すたびに、
ほんとうにあったことなのか?
と自分に問いかけるのだ。

すると、確かに憶えているのだ。
15の初秋にあった出来事なのだが、
浅い夢でも見たように記憶している。

「もしかしたらさ、それから10年経ったときに
冨士夫が転がり込んできたのって、
この話とつながってるんじゃないかって、
妄想することがあるんだ。
ウィーンに行ったままの彼が、
自分と同じような境遇の冨士夫を
よこしたんじゃないかってさ。
…………………ねぇ、どう想う?」

そう言いながら娘を見たら、

彼女は開け放った窓辺の下で、
いつの間にかに眠ってしまっている。

その周りには、
まるで音楽でも奏でるような
春の光と風が溜まっていた。

(1969・70年〜いま)

PS/
娘といえば、この4月に青ちゃんの愛する娘・みどりちゃんが目出たく結婚する。
う〜ん、感慨深い。越冬するのも苦労する年になるわけだ。
血のつながっていない親戚の叔父サンとしては、無条件に幸せになって欲しいと想う。
みどりちゃんが産まれたばかりのとき、
青ちゃんと冨士夫とで奏でた『みどりの中へ』を贈ります。

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