084『BLUE & LONESOME SPECIAL LIVE!』THE BEGGARS/Rolling Stones Tribute

今回は『Beggars』のヴォーカル、
ケンちゃんの話をしようと思う。

彼がいなければ、
TEARDROPSの成り立ちも
大きく変わっていただろうし、
スムーズに滑り出すことが
できなかっただろうと思う。

そんな、ケンちゃんに初めて会ったのは、
まだまだ音楽の雰囲気が
漂っているころの吉祥寺だった。
1987年のちょっと暑くなる前の季節。
そう、ちょうど今頃だったのかも知れない。

当時、ウィスキーズを始めたばかりの青ちゃんが、
「俺たちのレコードを出したいって奴がいるんだ」
って言ってきたのだ。

「そんな馬鹿な」

(全く失礼なことに)そう思いながら、
南口にある喫茶店に出向いたのを憶えている。
そこにニコニコ顔のケンちゃんが居て、

「初めまして、左藤です」

と言って名刺をよこした。
その丁寧な仕事ノリの仕草が、
およそ周りにいないタイプだったので、

「待てよ、すると、こりゃマジの話かもな!?」

そこにきて初めて、そう思ったのだった。

当時からケンちゃんはせっかちな性格で、
挨拶もそこそこに、まっすぐ本題に入る。

「ウィスキーズのレコーディングを考えてますか?」

考えてるもなにも、
つい先日、青ちゃんが新しいバンドを
作ったことを人づてに聞き、

「おめでとう、青ちゃん」

って、電話したら、

「何言ってんだよ、トシ。
マネージャーなんだよ、お前ワ!」

って、言われたばかりなのだ。

ウィスキーズっていうバンド名さえ、
まだ耳に馴染んでいない。
レコーディングなんて、とてもとても。
なんて、なぁ〜んも考えてなかったが、

「考えてます、4曲入りのシングルなんかどうかと思って」

馬鹿の一つ覚えみたいな言葉が口から出た。
それは、冨士夫の『RIDE ON!』で
やったばかりのパターンなのだ。

そう言葉をつなげながら、
思わず顔が笑っちまっている自分を感じた。
口角の上あたりがヒクヒクするのだ。
いやぁ、ホント、思いがけない話じゃないか。
いきなりレコーディングとは。

「もうすぐ始まるので行きましょう」

そう言って、ケンちゃんと一緒に『曼荼羅』に移動し、
(初めて)ウィスキーズのステージを確認したのだが、
意外なほどに客入りも良く、
青ちゃんとジョージの両翼にマーチンと宮岡のリズム隊が
とっても心地良くハマっていた。

「カッコイイじゃん」

ぜんぜんイケテルのである。
レコーディングは新宿のJAMスタジオで行った。
青ちゃんの『フラフラ』をはじめ、
ジョージの曲を中心に4曲。
サラッと仕上げたかたちになった。

それにしても、ウィスキーズってバンドは、
まさに『見る前に飛べ』って感じだった。
トントン拍子に出来上がった4曲入り円盤を引っさげて、
早速、東名阪京ツアーに出かけたのである。

そこにケンちゃんも同乗した。
ビデオを録りながら、
ツアーをコーディネイトしてくれるのだ。

「こりゃあ、いいぞ、ラクチンだ」

これまで、1人でやっていたことも
分散することができた。
まるで、明るい守護霊がついた気分である。

だいたいが、持ち出し、ギャラ無し、
先行投資も4年目ともなれば、
誰だっていい加減に麻痺してくる。

もともとが、『山口冨士夫』看板だったから、
ブッキングに苦労したことはない。
な〜んにもできない時から、
冨士夫のマネージャーとして
周りから一目置かれるので、
ちょっとした鼻高気分も味わえた。

しかし、名のわりには客が来ない。
素行がすこぶる悪いので、
コマーシャルや営業も来ない。
その代わりといっちゃ何だが、
警察はよく来た(笑えない)。

〜来るのは、イカれたヨタ公ばかりさ〜

と、冨士夫本人も歌っているように、
´83年に始めた当初は、
ウチはちょっとしたワルの巣屈だった。
客がヒトクセもフタクセもアルのだ。
金を払わない輩があまりに多いので、

「冨士夫のバンドの時だけは先に払ってもらうよ」

と、クロコダイルの西さんに宣言された。
通常、クロコで飲み食いすると
帰りがけに伝票と共に清算するのだが、
ウチの客は、それを(伝票)捨てちまう。
それも1人や2人ではない。
フタケタにもなると言う。
西さんに問いただされて想い浮かべると、
次々と顔が脳内でスライドされた。

喰えないミュージシャンが多かったのだ。
舞踏家や芸術家もいる。
プッシャーやらヒッピーもいたし、
そのエサに喰い付く“麻取り”も、
ウチらのステージを楽しんでいたのである。

女子は知り合いしか来なかった。
だから、客の殆どはイカレタ野郎ばかり。
たまに見知らぬ娘が来れば、
100%の確率で客の誰かが声をかける。
次にその娘が現れる時は、
化粧とファッションが変貌して、
誰かの連れになっているというわけである。

「ホント、こわかったっス」

と当時を思い出して懐かしむのは、
グッドラヴィンのコイワイくん。
怖いなら来なきゃい〜のに。
だいたいまだ高校生だった
彼の来るところでは確実になかった。
あまりのトラウマが尾を引いて、
冨士夫の音を扱うハメになったのだろうか?
つくづく人間は色々なんだと想う。(アーメン)

さて、ケンちゃんが登場するこの頃は、
そんなに危ないシーンではない。
冨士夫がシナロケに関わってから、
客層も変わりつつあったからだ。
少しづつ場内に黄色い声がして、
キャピキャピ娘たちが現れていた。

ウィスキーズのシーンは、
そんな雪解けの春の中に在った。
それは、そのまま1年間楽しみ続け、
TEARDROPSへと受け継がれたのである。

冨士夫がフィールドに復帰すると、
ウィスキーズの通った道を辿って進んだ。
JAMスタジオでレコーディングをして、
シングルに続きアルバムも制作したのだ。

発売レーベルはケンちゃんの会社、
『S.E.X』Recordである。
バンドの器材車も『S.E.X車』を借りて使った。
クルマのサイドボディに、
でっかく『S.E.X』と書いてある。
借りといて言うのも何だが、
これがまた、すこぶる恥ずかしい。

ツアーで行った京都では、
ストリップの巡業と間違えられるし、
ウチから機材を乗っけて行く時に、
近所の目が興味シンシンなのだ。

“あそこの息子、とうとうソッチに行ったのね”

実家暮らしの切なさは、
子供の頃からの素行の悪さを
近所一帯が認識していることだ。
さすがの母親も鼻を鳴らして言ってきた。

「あんた、いったい何の仕事してるの?」

僕はたまらず、ケンちゃんに訴えた。

「クルマのサイドボディ、変えておくれよ」

こういうときのケンちゃんは妙に頑固である。
“あれは、エスイーエックスと読むのだ”
というのである。
『S.E.X』の間の『.』がポイントなんだとか。
いやいや、誰もそうは読まないでしょ。
いちいち説明するのも無理があるし。
だが、ケンちゃんは頑として譲らない。
まぁ、仕方がない。

「俺たちはセックスだ」

そう想うことにした。
なにが恥ずかしいことがあるものか。
インパクト=コマーシャル だろ?
そのように、スタッフ、メンバー、
みんなを説得して
胸を張ってクルマに乗り込んだ。
すると、役1名、蚊の鳴くような声が
後ろの座席から聞こえてきた。

「トシ、やっぱ 恥ずかしいよ」

見ると、天下の山口冨士夫が
小さくうずくまっていた…。

1988年8月8日の
『命のまつり』のイベントにも、
この機材車で行った。
ステージに横付けして機材を降ろし、
そのまま演奏を開始したので、
インパクトある映像が残っている

『NO NUKES ONE LOVE』

原発反対を訴えるスローガンの横で、

『S.E.X』

と表示された黒塗りのワンボックスカーが、
妙に生々しく踊っていたのである。

さて、今回の主人公、ケンちゃんだが、
基本ニコニコ姿勢なのだが、
実はせっかちで頑固だということが、
ここまでで解っていただけたと思う。
血液型はあてにならないが、
ケンちゃんはAB型である。
アバウトで細かい、
この2つが同居できるのは
AB型しかないだろう。

もともとは『ID JAPAN』という
アパレル・ブランドを主宰している、
れっきとした社長さんなのだ。

TEARDROPSでは、アーティストグッズも
ケンちゃんのところで制作していた。
EMIとの契約切れのタイミングで、
TEARDROPSが終わったことにより
しばらくケンちゃんとも離れていたが、
2006年ごろ、冨士夫と再会するタイミングで
ケンちゃんにも連絡したのだった。

すると、ケンちゃんは今、
バンドをやっていると言うのだ。
それもヴォーカルだというのである。
ケンちゃんがバンドをやっていたなんて、
ちょっとやそっとじゃイメージできないでいた。
全く知らなかったのだ。

驚きの余韻が残っているままに
渋谷のDUOに出向いた。
すると、ストーンズのトリュビュート・バンド
『BEGGARS』のヴォーカルとして、
化粧したケンちゃんが
ステージに飛び出してきたのである。

しかも、ミック・ジャガリコなんて名乗ってやがる!*
何者なんだ、こいつは!?
言われてみれば、
確かにミックに似てないこともない。
カンボジアの密林あたりをさまよっている
ミック・ジャガーのようである。

「若いころ、バンドやってたんだよ」

ケンちゃんは、ステージ終わりに、
化粧を落としながらサラリと言った。

冨士夫の家に行ってその事実を伝えたら、
冨士夫も見事に驚いていた。

その驚きが、そのままに
クロコダイルのライヴへとつながっている。
興味のある方は、
『2007年のクロコダイルLIVE』DVDをご覧あれ。

当時のシーンが垣間見られるからさ。

そんなケンちゃんがBEGGARSを率いて、
5/20に西荻にあるライヴハウスで、
『BLUE & LONESOME SPECIAL LIVE!』
という Stones Tributeライヴを行った。

小さなBARのような店に
SFC(ストーンズ・ファン・クラブ)
の人たちがびっしりと収まり、
ストーンズのブルースナンバーに
ひとときの酔いを感じていた。

いつものBEGGARSのメンバーたちもさることながら、
大久保紅葉ちゃんやジョーキッズ、
ミホちゃんたちのゲスト陣もノリに乗っていたのだ。

しかし、この日の驚きは、
何と言ってもミック・ジャガリコだろう。
彼はステージ全編で鍵盤を叩きながら歌ったのだ。

「ケンちゃん、キーボードが弾けるんだ?!」

ビリー・ジョエルになっちまったかのような
ジャガリコに訊いてみた。

すると、ケンちゃん は、
ステージ終わりに、
化粧を落としながらサラリと言ったのである。

「若いころ、キーボーディストだったんだよ」って。

人間ってのは、つくづく色々だと想う。
冨士夫のように、必死になって
自分を確かめながら突き進む生き様もあれば、
ケンちゃんのように、
サラリと努力をする人生もある。

ドチラが良いという話でもなければ、
重いとか軽いとかでもない。

今日という日も、
あっという間に過ぎて行く風景のような1日ならば、
何かを記憶に停めておきたいと想うのだ。

これから、僕はケンちゃん家に行く。
育てた薔薇が綺麗に咲いたから、
ガーデン・パーティをしようなどと言ってきたからだ。

それならと、僕は、
昼食に焼きそば作りをかってでた。
ただの焼きそばではない。
ナンプラーと鶏ガラスープ味のパクチーが良く合う
東南アジア風味ってやつだ。

そこに、僕は、
思い切り赤唐辛子を入れてやろうと
たくらんでいるのである。

(1987年〜今)

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