090『ジニーの『リゾート』/その2』オルゴール

その夜は、すこぶる調子が良かった。
さすがに金曜の阿佐ヶ谷は盛況で、
空いてる店を探すのもかったるい。

僕らは、ジニーの歩調に合わせて、
ふっと、目に映った
風通しの良さそうな店を見つけて
飛び込んだのである。

「そのころの私はさ、
まだベースを始めて数カ月だったんだ。
だから、マーちゃん(加部正義)に
教えをこいに行ったんだよね、
当時、横浜にあった
ルイズルイス加部の家にね。
そしたらさ、
“好きに弾くのが一番だよ”
って感じで言われた。
そりゃあ、そうだよな、
マーちゃんはそーゆー人なんだって。
そんな事を覚えてるよ」

ジニーにとっては、
随分と図太い決断だったのだろう。
なんてったって、
山口冨士夫とルイズルイス加部に挟まれて、
ベースを弾くのである。
シドヴィシャスじゃあるまいに、
途方も無い思い切りが必要だったのだ。

生ビールを終了して、
ハイボールに切り替えた僕らは、
本日、何回目かの乾杯をした。

「ベースを弾くきっかけは何だったの?」

僕は少しばかりのハイペースに、
浮かれて映る景色を
ジニーに照らしながら訊いてみた。

「冨士夫から連絡がきたんだよね。
“ベースがいないから、すぐにでも京都に来てくれないか”ってね」

村八分の第一幕を終了していた冨士夫は、
京都の店でハコバンをしていて、
(村八分の後にハコバンってのも凄いけどね)
ベースを弾けないジニーに、
“ベースを持って京都に来いよ”って呼ぶのであった。

(なんだかメチャクチャな話だ)

「それでさ、ベースギターを買ってさ、
新幹線に乗ってノコノコと行っちまう
コチラも問題なんだけどさ(笑)。
でも、実際に行ってみたら、
即やんなきゃならないないんだ。
明日からステージだってんで、
毎日3曲ずつ憶えなさいって感じ。
1週間もあれば完璧だって、
冨士夫はさわやかに言うんだよね(笑)」

しかし、何度も言うが、
実際のジニーはベースが弾けない。
初心者なのである。

「そりゃあ、コードくらいは知ってたからさ、
リズムの間のとりかたとかをね、
冨士夫が教えてくれるわけよ。
R & Bとかストーンズとかをさ、
『この曲のこんな感じを憶えておくように』
とか言っちゃってね(笑)。
ハコバンって、だいたいがそんな感じだったよね。
最初はグダグダなんだけどさ、
だんだんとまとまってくる。
なんてったって、
1日3ステージくらいやるんだからね。
ベースを弾けないもへったくれもありゃしないのさ。
その時のハコバンの名前?
『フランクフルト』っていうんだ。
意味なんか知らないよ。
誰か、腹でも減ってたんじゃね〜の?」

そんな冨士夫を想うにつけて、
彼はトビッキリ優秀な先生だったのだと想像する。
『村八分』だって、
楽器ができるのは冨士夫だけだったのだ。
恒田さんや、ユカリさんのリズム隊は別としても、
弦楽器は冨士夫にしかできない。
チャー坊だって歌ったことがなかった。

カッコ付けの青ちゃんにベースを教えて、
哲学者のテッちゃんにギターを伝授した。
世間と闘うようなパフォーマーだったチャー坊が、
あらぬ叫びを詞に置き換えたのは、
きっと冨士夫の存在が大きかったのだと想う。

僕らは、ひとしきり
風通しの良い居酒屋で喉を潤すと、
腹を満たすために蕎麦屋に移動した。
こんな酔狂なコースをとれるのは、
やはりジニーならではであろう。

「リゾートってバンドは、
ある種、化学反応的な部分があるね。
リズムを刻みながらヴォーカルをとる、
そんな冨士夫のエッジの効いた柱に、
マーチャンのぬめぬめとした、
蛇のようにまとわりつくようなギターが絡んでくる。
それがとても面白いよ」

そう言ってジニーは、
ざるにある蕎麦を箸にからめると、
蛇のようにくるくるとまとわりつかせ、
汁の中に沈めながらコチラを向いた。

「リードギターでもベースでもない、
そんな立ち位置で蛇が巻き付いてくるんだ。
だからさ、たまんないよね。
ギタリストのマーチャンを
フィーチャーしたシーンとしては、
リゾートってバンドは
画期的だったんじゃないかって想うよ。
それまでは、カップスのルイズルイス加部。
誰しもが認める、
唯一無二のベーシストだったんだからね」

そう言って“ズズッ”っと、
音をたてて蛇(蕎麦)をすするジニーに
僕は思い切って訊いてみた。

「でさ、実際にどうだったの?
その二人と演ってみて」

すると、とたんに箸を置いたジニーが、
大げさに首をかしげる。

「想像してみてごらんよ、
冨士夫とマーちゃんのツインギターだぜ。
とーぜん、ベーシストは注目の的さ。
舞い上がるほどに解ってるから、
本当に困ったよね。
何てったってキャリアも何も無いんだからさ、
どうしようもないんだ。
ソリッドの効いた冨士夫のリズムギターと、
マーちゃんの自由なリードギターとの間で、
いったい、どうしたもんやら?
って、途方も無かったのを覚えているよ。
マーちゃんに訊いても、
自由で良いんだよって言われるしね。
だから、解んないまんま、リハに突入して、
そのまんまライヴに突入したって感じだったよね」

『リゾート』の音を聴くかぎり、
そんなジニーの戸惑いは感じられない。
『村八分』の時の青ちゃんベースの
音源を聴いた時もそうだったが、
ベース音のポジション取りが、
かえってカッコイイと想ったものだ。

(“ありゃあ、オイラの指示だよ”って、冨士夫はえらぶっていたが)

さあ、蕎麦を喰ったら運命の別れ道である。
これ以上呑むことは、
それこそ蛇になることを意味するのだ。
“朝までとぐろを巻いてやる”ってね。

そう言いながらも『89』に行くことにした。
“あそこに行くと秋山がいるからなぁ〜”
とか言いながら入ったら、
ホントに秋山がいた。

(秋山を知らない輩には、
全然解んないだろうが、
ブルース・ビンボーズのドラムで、
とにかく面白い奴なのだ。
そのうち、ゆっくり紹介しようと思う)

「今日は、またどうしたんっすか?」
と言う秋山も取り込んで、
本日、20回目くらいの乾杯をするのである。

「今日は冨士夫の供養だから!」

確かめるようにジニーが音頭をとった。

「まぁ、『リゾート』話は、
今夜はこのくらいにしておこうや。
所詮は無茶な話だったんだよね。
個性が強い者同士を、
周りの人間が作為を持って、
くっつけようとしたんだから」

8ヵ月ほど続いた『リゾート』の活動後、
冨士夫は横浜で暮らそうと試みたという。
加部さん家の近くにアパートを借りて、
次のシーンを想い描いたりしたのだ。

そこに再びチャー坊が寄って来た。
そのとき、加部さんも交えた
新しいバンドの妄想もあったらしい。

「だけどちょうどその時は
JLC(ジョニー、ルイス&チャー)をはじめた頃で、
タイミングが違っていたらどうなっていたのかな。
まあもうJLCに決まっちゃったならしょうがない、
それじゃって冨士夫はソロになった」

そう加部さんのブログ本には書いてある。

村八分が空中分解して、
フラついている冨士夫が
次なるビジョンを探しているとき。
ちょうど加部さんも宙を舞っていた。

“この二人をくっつけたら面白い(凄い)かも”

要は誰しもが、そう想う瞬間だったのだ。

…………………………………………

結局は“もう閉店します”という
店の勝手(当たり前か)な言い草で、
明け方に『89』を出た僕らは、
もう一軒だけ寄ったのだが、
ここら辺からは記憶にない。

次の瞬間は自転車に乗っていた。
どうにも前に進まず、
よそ様の塀にこすったりしたのだが、
ほど良い心地よさに、
心の中は、まさにリゾート気分なのであった。

無理矢理のオチにおあとがよろしいようで。

(1976年〜今)

PS/
いよいよ本日です。
冨士夫の誕生日。
お越し下さいませ。

(こうたろう も おいで)
〜いつも、まっさきに読んでくれて、
“イイネ”してくれた奴、
いっしょに愉しもうや〜

山口冨士夫 生誕68年記念
映画『皆殺しのバラード』特別上映会

日時:2017年8月10日(木)
会場:高円寺ショーボート
料金:前売2000円+drink/
当日2300円+drink
開場19:00/開演19:30

【出演バンド】
◆DIAMONDS
Vo.G.エミリ/B.AMI/G.オス(The Ding-A-Lings)/G.ナガタ(The Ding-A-Lings/dip)/Ds.ナカニシ(dip)
◆fujioトリビュートバンド
Vo.G.延原達治(THE PRIVATES)/Vo.B.吉田博(ザ・ダイナマイツ)/G.P-Chan(ブルースビンボーズ)/Ds.ナオミ(ナオミ&チャイナタウンズ)

【映画上映】
◆ライブドキュメンタリー映画『山口冨士夫/皆殺しのバラード』
【撮影・編集・監督】川口潤

お問い合わせ
<高円寺ShowBoat>
杉並区高円寺北3-17-2 オークヒル高円寺B1
電話:03-3337-5745
<ShowBoatホームページ>
http://www.showboat1993.com/

 

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