091『高円寺/冨士夫の命日』

高円寺までママチャリで行った。
冨士夫の『こぼれ話本』を作ったはいいが、
少しばかり多く再刷りし過ぎて、
ベッドの横を占領しちゃってるからだ。

クルマで行くとサケが呑めないし、
電車のある時間に帰らない自信はアル。
すなわち、ママチャリカゴに本を入れて、
ギーコギーコ行けばいーのである。

「ぜんぜん宣伝しないから余っちゃうんですよ」

そうGoodLovinのコナマイキくんに怒られるのだが、
そーゆーのが苦手なのだから仕方がない。
“ おかしいな?もともとは宣伝の出身なんだけどな ”
なぁんて想いながら、遥かなる時間に想いを馳せるのだ。

想えば、高円寺は冨士夫の十八番(おはこ)だった。
ライヴこそ、あまり演らなかったが、
プライベートそのものは高円寺ベッタリだったのだ。

僕の知る限り、最初に冨士夫家を訪ねたのは、
駅から南に行った青梅街道手前のアパート。

その頃はまだ会社員だったので、
忙しくて滅多に行けない。
それでも、仮にでも、マネージャーなのだ。
やっとのことで時間を作って、
勇んで木造アパートの
共同廊下を歩いていると、
バタンとドアが開いて冨士夫が現れた。

「おっと、トシ!いいところに来たな!」

とか言って抱えてたテレビを渡してきた。

「重てぇんだ、手伝ってくれよ」

って、言いながら完全に委ねにかかる。
仕方がない、マネージャーなのだ。
修行と思って持つこととしよう。

「すぐそこに質屋があるからさ」

努めて明るく言う冨士夫の後ろを、
テレビを抱えてヒョコヒョコとついて行った。

「テレビを入れちゃうと見られなくなるんじゃない」
なんて、我ながら馬鹿な事をホザきながら……。

「こんにちは、お願いしま〜す!」

まるで親戚の家でも訪ねるように、
のれんをくぐった冨士夫は気軽だった。

「おや、あんたかぃ、幾らいるんだい?」

奥から出て来たオッサンが、
これまた身内を見るような目つきで言ってきた。

「できれば2萬……」

「2萬……か」

「ハイ、2萬」

「わかった、2萬ね!」

2萬をジャスト4回も聞いた時点で、
やっとテレビを降ろすことができた。

「ばっかだなぁ、早く降ろせばいいのに」

なんて、不条理な修行言葉を浴びながら、
冨士夫が現金を受け取るタイミングで、
ホクホク気分でのれんを出た。

「あのテレビが2萬もするの?」

「何だっていいんだよ、要は流さなきゃいいんだから」

「じゃあ、ギターのほうが、高価でいいんじゃない?」

「バッカだなぁ、ギターがなきゃ、出す金を作れねぇじゃね〜か」

「あっ、なるほど」

そんな当たり前のことに、
妙に感心したのを覚えている。

「それより、トシ、腹減ってねぇか?」

めっきり機嫌が良くなった冨士夫が、
浮き浮き足ながらに訊いてきた。

「うん、まぁ」

「ヨシ、じゃ、カツ丼喰いに行こうぜ、奢ってやるよ」

「いーよ、お金がないんじゃ…」

って言う、コチラの言葉が届かぬ先を
駆けるように冨士夫が行く。
“ テレビの運び賃だから ”
って奢ってもらったカツ丼は、
ことのほかに美味かった。
それは、初めて味わう高円寺の味なのだった。

…………………………………………

そんな昔事を想い浮かべながら、
自宅を出て50分、
やっと高円寺のロータリーに(ママチャリで)着いた。

まだ時間に余裕があったので、
当時借りていた
スタジオに行ってみる事にした。

南口の線路わきの細い路地を行くと、
数十メートルほどで、
今ではシャッターが閉まったままの古びた建物に着く。

もともとは倉庫なので、
冷暖房もなく、夏暑くて冬寒い。
ココで約30年前の夏、
冨士夫のプライベート・カセットを録音したのだ。
そのときの青ちゃんの
絶妙なスライド・ギターを思い出す。
意外に上手いのに、うっかり驚いていると、

「青ちゃんをあなどってんじゃねぇぞ、トシ」

と、何故か冨士夫が、
得意気にぶつかってきたものだ。

そこにチコ・ヒゲやジニーも居た。
サミー前田が、ラジカセ片手に、
高円寺の盆踊りの音を録り終えて、
お開きになったこの夏は、
いま、振り返れば
かけがえのない想いの残る夏だった気がする。

そのスタジオは、
冨士夫がいないときは
FOOLSが使ったりもしていた。

リョウ(FOOLS/ギター)とは、
桃太郎寿司の向かいにある
立ち食い蕎麦屋でよく待ち合わせをした。
スタジオでリハをするのに、
幼子を託児所に預けなければ
ならなかったからだ。

その幼子がリキ。
ついこの間まで、
エミリ率いる『ダイヤモンズ』で、
逞しくドラムを叩いていた、彼だ。

「ちょっと、頼むよ」

って、リョウが立ち食い蕎麦を喰っている間、
抱っこしてた甲斐があるってもんだ。
血のつながってない甥っ子には感無量である。

さて、そんなこんな
ぼおっと、思い出にいたっている間に、
そろそろ良い時間になってきた。
ShowBoatに行く事にしよう。

北口からマックの横を抜けて
商店街を入って行く。
途中、抱瓶/ダチビンの店内を、
ひょいっと、覗いてみる。

やっぱり、カウンターの奥で、
好物のソーキそばを喰っている佐瀬を発見。
コチラに気がついて、
ズボンをたくしあげながらやって来た。

「おぉ、なんだよ、みんな揃って。
そっか!冨士夫の誕生日か、喰ったらいくよ」

相変わらず食い気優先なんだな。
でも、まぁ、デカイ図体して、
人一倍寂しがり屋だから、必ず来るだろう。

そう想いながら、
駆け足でShowBoatの階段を降りて、
エントランスの扉を開ける。

いきなりの満杯の客と、
エミリの歌声が飛び込んできた。

♪ あったま いかれて ブルー ♪

冨士夫が大好きな歌なのだ。
見慣れた顔が会場に溢れている。
ついこの間まで
しょっちゅう会っていた仲間たちが、
まるで時空を超えたように笑っているのだ。

エミリ率いるダイヤモンズも
なんだか名の通りに輝いてきたではないか。
どこかで冨士夫が入ってんじゃないか?
な〜んてね、そんな妄想が愉しい。

場面が代わって、
延ちゃん(プライベーツ/延原)率いる
トリュビュート・バンドの演奏が始まる。

圧巻である。
もう何も言うことはない。
冨士夫が大切に想っていたメンバーたち。

子供のころからの親友・吉田くん(ダイナマイツ)。
弟のように想っていた延ちゃん。
冨士夫が大変な時に介護までしてくれたナオミちゃん(ナオミ&チャイナタウンズ)。
そして、いつだって良き理解者であるピーちゃん(プルース・ビンボーズ)。

4人共が冨士夫の音を知りつくしている。
いや、ステージの上だけではない。
フロアにいるみんなが
冨士夫の音を奏でているようだった。
カタチは見えなくなっても、
魂は心の中に宿っているものなのだ。

♪ ジョイントしようぜ Baby お前の魂と ♪

こんなベタなフレーズが
時を経て、心に染み入ってくる。

こんな日は、やっぱり呑んじまおうと想う。
アッチに行っちまったみんなとも乾杯するのだ。

ところで、ママチャリで持って来た、
冨士夫の『こぼれ話本』はどうなったかって?
それが、3冊、売れたのだ。

コナマイキくんのところに行くと、

「この売上で呑まないでくださいね」

とか言いながら、売れる度に
1500円ずつ手渡してくれる。
不思議な事にそれをカウンターに持って行くと、
ハイボール2杯に様変わりするのであった。

それを3回も繰り返したころには、
とんでもなく良い調子になっていたのである。

そう、この日のハイボールはとびっきり旨かった。

それは、まるで、冨士夫から奢ってもらった
カツ丼と同じくらいに。

(1984年ころ〜今)

PS/

本日は冨士夫の命日。
4度目の命日は、
偶然にも、小山耕太郎の葬儀と重なってしまった。

何があっても、
どんなことが起こっても、
彼らの音はずっと僕らの中に生きていくと想う。

どんよりとした
夏の曇り空を見上げながら、
つくづくとホロ酔い気分で笑う、
あの人なつっこい耕太郎の赤ら顔を
想い浮かべるのです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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