095『中秋の名月』/終わりのダンス
1990年の秋風がそぞろ吹くころ、
TEARDROPSはレコーディングに入っていた。
東芝EMIから早くも3枚目のリリースとなる
アルバムの制作である。
しかし、辺りは雲行きがワルい。
夏が過ぎ、入道雲がうろこ雲に変わる頃、
すっかりと周辺の景色に、
陰りが見えてきたのである。
「天高く馬肥ゆる秋」ってか。
1990年の空を見上げて、
ちぎれちぎれになっちまっている、
バラバラの雲間を眺めた。
「つべこべ言ってる暇はないな」
深い森の中を分け入るように歩く。
道もなく深く茂った緑の中を、
先も見ずに進む気分なのである。
この先に一体何があるのだろうか。
ビジョンもへったくれもありゃしない。
湿った葉をかき分けながら、
とにかく日の当たる場所に出よう。
そう想って仰ぎ見るほどに
大きな針葉樹をくぐり抜けた時である。
「なに一人で悩んでんだよ、トシ」
森のなかにポッカリと空いた草地に、
青ちゃんが立っていた。
煙草をくゆらせながら、
カッコ付けたスタイルが、
まるでロックのロの字のようである。
(まさにロッカーって意味でね)
「なんでもないよ」
「冨士夫のことか?」
「それもある」
「金のことか?」
「それもあるかな」
すると、青ちゃんは
かけてたサングラスを鼻までずらし、
戯けるような顔をして言ったのだ。
「大丈夫だよ、トシ。
金は天下の廻りものだろ?
動いてりゃ自然に廻ってくるさ。
冨士夫についても、
みんなで考えていけば、
なんとかなるよ」
現実を話せば、
このやり取りは初台の商店街での出来事だった。
通りに停めた器材車の中で、
コレから先のことをボォッと考えていたら、
通りがかった青ちゃんが、
(バンド全員が初台の住民だったので自然に出会う)
声をかけてきたのだった。
「そ〜だね、ありがとう青ちゃん」
そう言うと、
“何の根拠も無しに言ったんだよ”
とばかりにからかう仕草をした青ちゃんが、
もう一度サングラスをかけ直し、
車の中を覗き込みながら苦言した。
「だけどさ、トシ。
俺たちのマネージャーなんだからさ、
イーグルスだけは勘弁してくれよ」
「あっ!…」
僕はあわてて車内に流れている
カセットテープを止めて、
ジョニー・サンダースのテープを探した。
それを奥のほうから見つけたときには、
青ちゃんはもう助手席に乗り込み、
シートの背もたれを倒しているところだった。
この頃は、青ちゃんがが察したように、
実際に冨士夫とは、
コミュニケーション・ブレイクダウン
になりつつあった。
このことでやっかいなのは、
こちらが そう思っていても、
冨士夫本人はそうは思っていないことである。
いつもと変わらぬ、
いや、いつもより増したテンションで、
いかにも意気揚々と振る舞っているのだ。
とても感覚的であり、
決断力もすこぶる早い。
コチラが考える暇(いとま)もなく指示が飛ぶ。
「山中湖のスタジオまでシタールを持ってきてくれ」
「いつ?」
「今夜、録りたい」
それだけ言うと電話が切れた。
レオ・ミュージックに訊いても、
御苑スタジオに訊いても、
シタールは扱ってなかった。
(今は知らないが)
あわててアチコチ調べてみたが、
とんと見当たらない。
吉祥寺にあるインド風の雑貨屋に
展示してあるというので訪ねてみた。
「●●万なら貸すよ」
という条件に飛びつくしかなかった。
何しろ時間がないのだ。
現金を渡し、その足で車を走らせた。
総ての予定をキャンセルして山中湖に向かう。
携帯のない時代なので、
お互いに途中経過を知るよしもない。
スタジオには連絡を入れるのだが、
本人と話しているわけではないので、
それなりに焦りながら向かうのだ。
夜8時を廻ったころだっただろうか、
かっ飛ばしてスタジオ入りした。
シタールを裸のまま抱きかかえて、
意気込んで冨士夫に迫っていったのを覚えている。
「おおっ、トシ、来たのか」
ちょうど、ジョニー吉長さんと
金子マリさんがスタジオ入りして、
冨士夫と談笑しているところだった。
裸のシタールちゃんに気がついた冨士夫が、
信じられないひと言を発する。
「何、持ってきたの?」
「何って、シタールを録るんじゃ」
突然に想い付いたことを、
突然思い出したかのように、
高らかに冨士夫が笑った。
「そうだった、ありがとう」
冨士夫は、こちらから裸のシタールちゃんを
お姫様抱っこ風に受け継ぐと、
スタジオの床にそっと寝かせながら、
振り向き様に呟いた。
「ところで、ジョニー。シタールのチューニングって知ってるかい?」
すると、突っ立っていたジョニー吉長さんが、
大真面目な顔をして答えたものだ。
「やったことないなぁ、俺、ドラマーだもん」
そこでスタジオ中が大爆笑。
結局、裸のシタールちゃんの役目は、
この和み時点で
殆どが終了していたのであった(泣)。
書いているうちに、
思わず笑い話になっちまったが、
現実はもっとシリアスだった。
まぁ、今になってみれば
冨士夫の気持ちもよく解る。
TEARDROPSを始めて3年目、
ステージをやれば、
客は普通に来るようになったが、
その割には日常の環境は変わらない。
とんと変わらぬ現実に、
多少なりとも被害妄想になる。
「ぬぁんだよ!俺ばっかじゃねぇか、バンドを動かしているのは」
何もかもを仕切らなきゃならないプレッシャーに、
冨士夫自身に赤ランプが点滅し始めたのだ。
そこで、冒頭の青ちゃんとのシーンになる。
冨士夫以外の3人は落ち着いていた。
っていうより、
もともとがのんびりとした気の良い奴らだ。
冨士夫はあえて、そんなメンバーを集めていたのだ。
バンドってもんは、そこら辺が難しい。
阿吽の呼吸で何もかもが、
クルクル変化して進めば良いのだが、
そうはイカのナントカである。
空を見上げると、ちりぢりの鱗雲が浮かんでいる。
「なんだか、肌寒くなってきたな」
そう言って、青ちゃんが煙草に火を付けた。
「つべこべ言ってる暇はないな」
器材車に青ちゃんを乗せ、
スタジオに向かって発進した。
昨日のリハのテープを車内に流す。
冨士夫のヴォーカルが、
突然にスピーカーから飛び出してきた。
♪終わりの終わりの終わりを お前と踊りたい♪
冨士夫が絞り出す『終わりのダンス』
を聴きながら甲州街道に入る。
南新宿に向かうビルの切れ間から、
ポッカリと大きな満月が
登場するタイミングだった。
「中秋の名月か」
そこで僕らはもう一度、
暮れてゆく秋空を眺めるのだった。
(1990/10月)