102『青ちゃんの命日/キース・リチャーズの誕生日』

12月18日はキース・リチャーズの誕生日。
こんな日に逝く青ちゃんは、
最後までカッコつけだった。

宵越しの金どころか
そんじょそこらの呑み屋に
立ち寄る金も持たない。
しかし、気がつくと、
いつの間にか酔っぱらっているのだ。

「世も世なら、青ちゃんは傘張り浪人だな」

冨士夫にそう言わせるくらい、
青ちゃんの着流し人生は堂に入っていた。

横の物を縦にもしないから、
寝転んだままで同居人に物申す。

「そこの煙草を取ってくんな」

驚いた同居人が、
たまらずに問いただした。

「起きて手を伸ばせばいいじゃん」

青ちゃんは肘枕でTVを眺めたまま、
無愛想に応えたと言う。

「じゃあ、いいや。お前のを投げて寄こしてくれ」と。

そこまでいくと誰だって怒る気にもならない。
常人の理解のラインをまたぐのだ。
怠惰で打算的でひとりよがりな自分の方が、
まだましなようにも思えてくる。

青ちゃんには、そんな指針があった。
身勝手をとことんまで突き詰めたあげくの
恰好のつけかたが、
女心をざわつかせるだ。

剣道部仕込みの姿勢の良さは、
決してギターを構えるポーズに
合うとはいえないのだが、
正面から打ってくるんじゃないかという、
真っ正直さに溢れている。

そのわかりやすさに
冨士夫も惚れ込んだのだろう。
ギターも持ったことのない
18のガキだった青ちゃんを、

「カッコ良かったから」

という理由で京都まで連れて行き、
『村八分』のベースに仕立てあげている。

青ちゃんも冨士夫の
ソフトなキャラクターに惹かれた。
実に良い人だったのだ、冨士夫は。
あんな、あったかい兄貴は
そんじょそこらにはいやしない。

しかし、その状況が『村八分』で一変する。

チャー坊が妖艶なる個性を現し、
周りを翻弄し始めたのだ。
みんなして、脳ミソをかきまわすゲームを
していたことも影響したのだろう。
バンドメンバー全員が、
自身のアイデンティティーに揺れる。

あげくのはて、
存在感の中で贅肉をとことん削り、
骨身になった自分を音の世界で
さらけ出そうとした時、
ポキンっと、
大切な何かも折れていった。

たまらず、青ちゃんは1年で
京都から逃げ帰るのだ。
いや、逃げるという言い方は
失礼かも知れない。
青ちゃんは青ちゃんで、
本来の自分を取り戻すために
『村八分』と決別したのである。

江戸っ子だった青ちゃんは、
本来の自分をよーく知っている。
てやんでぃ、べらんめぃ、なのだ。

「しゃらくせい、そんなところで、何をくよくよしてるんでぇ」

なーにが日本人だ。
あったりめぇじゃねぇか。
ってな、感じである。

「俺は面倒くさかったんだ。チャー坊のことがさ」

決して『村八分』の話を
したがらなかった青ちゃんが、
唐突にそう言い放ったことがある。

その頃は青ちゃんにとっての晩年だった。
僕は、体調を崩していた青ちゃんを
週に一回、足裏マッサージに連れて行っていた。
迎えに行った青ちゃんの部屋で
仕度を済ませるのを待っていると、
上着を着ながら突然、
『村八分』話を始めたのである。

「ステージ前になると、びびったチャー坊が(今日の演奏を)、“やめへんけ” って言うんだ。そんなこと言われたら、コッチも緊張しちゃってさ」

当時のステージ前の話である。

「チャー坊のびびりが全員に伝染しちまって、もう、まともな演奏ができないんだ。それに一番に反応してたのが冨士夫だよ」

そう言いながら、
青ちゃんは軽く笑った。
ようは、性に合わなかったのだ。
京都の雅(みやび)より、
江戸の粋(いき)なのである、
青ちゃんの本来は。

話を最初に戻そうと思う。

青ちゃんは、チャキチャキの江戸っ子で、
とってもカッコつけだった。
高校では剣道部の主将。
絵を描くのが好きだったので、
新宿にあった、
セツ・モードセミナーに進んだ。

デッサンをするために
イーゼルに向かう同校生には、
後にグラフィックデザイナーとして
『SATORI』(フラワー・トラベリングバンド)
のジャケットを描く石丸しのぶ。
『スピード』のヴォーカル、ケンゴ。
『リゾート』のベース、ジニー小林などがいた。

そこに、冨士夫が
ちょくちょく顔を出すようになる。
石丸しのぶと気の合った冨士夫が、
セツに入り込むようになったのである。

その頃のセツに通う学生は、
いわば東京の最先端を意識した
若者たちだったのだろう。
当時の毎日新聞の年賀版には、
青ちゃんたちグループが
新宿でたむろっている様が、
新しい若者像の象徴として
写真つきで紹介されている。

そのキャンパスに冨士夫が現れたり、
冨士夫のステージを
セツ・グループが観に行ったりしているうちに、
次第に仲間になっていったのである。

「青ちゃんはオシャレだった。カッコ良かったからさ、京都に行く時に誘ったんだ。バンドをやろうってね」

そこからなのだ、
青ちゃんが音の世界に入るのは。
自らが思い立ったわけではない。
冨士夫というプロデューサーがいたからこそ、
ギターを抱えるカタチから
入っていけたのである。

だから、ミュージシャンとしての
恰好をつけるのには
少しばかり時間を要した。

『村八分』の時はベースだった。
それをギターに持ち替えて、
『スピード』作りに参加する。

そのカッコつけに憧れた
弟分たちに持ち上げられて
作ったバンドが『フールズ』だ。
そのファンキーなリズムの中で、
少しばかり浮いた存在だったけれど、
もと『村八分』の威光は、
充分に青ちゃんを光らせていた。

しかし、青ちゃんにとってのプロデューサーは、
何といっても冨士夫である。
『フールズ』も居心地は良かったが、
音楽の世界に導いてくれた冨士夫の存在は、
青ちゃんにとっては
唯一無二だったのである。

「久しぶりに会ったら、昔の穏やかな冨士夫に戻っていたんだ」

再会したときの冨士夫の印象を、
青ちゃんはケンゴにそう話している。

出会いから10年以上が経っていた。
『山口冨士夫・復活!』からの流れで、
共に『タンブリングス』を結成する。

「俺たちは同じ船に乗っているんだ」

そう、大真面目に言う冨士夫と共に、
生活の一から音の世界に
入っていくことにしたのである。

そのときの青ちゃんは31歳。
冨士夫は33歳になっていた。
もうガキではない。
人生に少しは腰を入れてもいい、
そんなタイミングだったのである。

「例えばさ、青ちゃんのカッコ良さってのは、着流し浪人みてぇなモンなんだよな。刀を差しちゃあいるんだが、ありゃあ、中身は竹みつさ。中身はとっくに酒代に変えちまっている。それでも、“寄らば、切るぞ!”ってカッコつけるんだよな。そんなんがイカしてるわけよ」

いつだったか、
酒を呑みながら冨士夫はそう言っていた。
その個性を誰よりも解っていたのである。

だからこそ『TEARDROPS』で、
青ちゃんのカッコつけは
成立したのだと思っている。
その見てくれやパフォーマンスには
ますます磨きをかけ、
徹底的に冨士夫のギターを
模倣することにより、
竹みつを本物の刀に変えていったからだ。

しかし、その『TEARDROPS』が終わるとき、
当然のように青ちゃんの音も消えていった。

何故、やめちまったか。
理由は簡単だった。
青ちゃんは冨士夫と、
ずっと演っていたかったのだ。
ただのカッコつけだった青ちゃんに、
音の世界を教えてくれたのが冨士夫なら、
冨士夫と音を出すことが、
青ちゃんにとっての
ほんとうに『カッコイイ』
ことだったのだから。

…………………………………………

もう7〜8年も前になるだろうか?
闘病する冨士夫の毎日に付き添いながら、
毎週のように青ちゃんを
足ツボマッサージに連れて行っていた。

冨士夫が足ツボマッサージで、
少し調子が良くなったから、

「こりゃあ、青ちゃんにも効くかも」

そう想い、
時を同じくして調子を崩していた青ちゃんにも
チャレンジしてみたのである。

「痛てぇ!痛てぇよ!」

錦糸町にある治療室で
青ちゃんの顔が激痛にゆがむ。

冨士夫には耐えられた痛みも、
カッコ悪いことが嫌いな
青ちゃんには無理だった。
さしたる効果もなく
数回で終了したのであった。

…………………………………………

さて、12月18日は
そんな青ちゃんの命日だ。

キース・リチャーズの誕生日でもある。

こんな日にカッコつけて
逝ってしまった青ちゃんを、
アッチの世界で冨士夫が
さぞ、からかっていることだろう。

僕は今でも、そんな青ちゃんの
少し潤んだような目を思い出す。

あれは、足ツボマッサージに
通っていた年の夏だったと思う。

青木家に誘われて、
青木家の屋上から
隅田川の花火大会を
眺めたときのこと。

パーンって花火が上がる度に
後ろから青ちゃんが
シャツを引っ張ってきた。

「なに?」

振り向くと、缶ビール片手に
青ちゃんが訊いてくる。

「冨士夫、どうしてる?」

「頑張ってる…」

と、言ってる先に、
また、パーンっと、花火が上がった。

まさにクライマックスだったのだ。
夜空一面にしだれ花火が広がり、
柳のような光の花弁が
垂れ下がってきていた。

「わぁ〜っ!」

という通りの角々で声があがっていた。

ふっと、気になり、
青ちゃんを振り返った。

すると、そこには
明るい夜空の下で、
ひとり、たたずむ青ちゃんがいた。

コチラに気づくと、
嬉しそうに寄って来た。

持っていた缶ビールを軽く上げ、

「冨士夫に乾杯!」

笑いながら、恰好をつけて、
そう言うのだった。

(2009年ころ)

PS/
12月8日下北沢Garden
「山口冨士夫とよもヤバナイトスペシャル」
は、大成功でした。
みなさん、どうもありがとうございました。
感謝いたします。

ところで、12月18日(月)。
この青ちゃんの命日に、
キース・リチャーズの誕生日に、
またしても見逃せないイベントが
下北沢Gardenで行われます。

12月18日(月)キース・リチャーズ74生誕祭。
★鮎川誠プレゼンツ ROCKIN’ X’MAS SHOW
下北沢ガーデン
出演: 鮎川誠 & SPECIALTY’S
鮎川誠、浦田賢一、TOKIE、藤井尚之、LUCY、花田裕之、延原達治

お見逃しなく!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Follow me!