109『先輩の幾何学模様』
やっと、少し暖かくなってきた。
毎日のように春になっていくのがわかる。
高校生の頃はソレを
近所に咲く椿の花で確かめていた。
ボト!って、落ちるのである。
実際に落ちる瞬間は見た事がないのだが、
気がつくと、道端に赤が固まっている。
ソレを見るのが愉しみだった。
ボト!って、
音が見える気がしたからだ。
三寒四温なんていっちゃって、
水前寺清子の歌じゃあるまいに、
♪一歩進んで二歩下がるぅ♪ ってか!?
(古い歌でスンマセン)
えぇい! めんどくせぇ!
ボト!って、一気に春になっちまぇ!
そんな気分で近所を歩いていたら、
中学の先輩にバッタリと出くわした。
高校2年になる早春だったと思う。
先輩は肩まで伸びた髪を
オオカミカットにして、
水兵のような恰好をしていた。
面倒なのでスルーしようとしたのだが、
「君はロックが好きなの?」
僕は合い言葉のようなこの問いかけに
思わず立ち止まってしまう。
「はい、まぁ……」
僕の部屋に貼ってある
ビートルズのポスターが、
合い言葉を引き出す理由だった。
部屋が道ばたに面していたので、
行き交う人たちに覗かれてしまうのだ。
いや、覗かなくても
2階の壁際は外から丸見えだったのである。
「ビートルズのホワイトアルバムのポスターが貼ってあるよね。あのサイケなフィーリングはいかしてるよね。ラブだって想わない?」
先輩は、一歩先を行く、
典型的なフラワーチルドレンだった。
笑顔でピースな二酸化酸素を
排出している感じがある。
中学校の時の1級上、
在学時は話したことはなかったが、
朝礼などで外に並ぶと、
数少ない長髪(といっても耳にかぶさる程度だが)が
印象に残っていたのであった。
「ところで、君はLSDをやったことはない?」
いきなりのとんでもない問いかけである。
しかし、当時は法的にもグレーゾーン。
僕らの仲間うちでは、
けっこう普通に行き交う合い言葉だった。
「まだ、ないけど…」
「やると、幾何学模様が見えるんだよ、目の前にさ。ソレが網の目になって広がって迫ってくるんだ」
と言われたのを憶えている。
すると、気になって仕方がなくなった。
けなげな17歳の心は、
幾何学模様が刹那な目標になる。
しかし、間抜けなことに
どこにあるのかまでは訊かなかった。
そんじょそこらにはありゃしないのだ。
吉祥寺が地元っぽかったので、
『くぁらん堂』『西洋乞食』『赤毛とソバカス』
『マザーグース』『マッチボックス』
『ハックルベリー』『サムタイム』
から、挙げ句の果ては
『ボガ』まで探してみたのだが、
それらしき幾何学模様は見あたらなかった。
仕方がないので、
本屋に出向いて『ワンダーランド』を買う。
高校当時の物理や社会よりも、
よっぽどためになる教科書である。
「なになに? バナナの皮を乾かして試せってか?」
さっそく、
部屋の窓際にバナナの皮を置き、
じっくりと待っていたら、
数日後に黒く変色した皮から
小さな虫が誕生し、
母親から怒濤の叫びをくらった。
鳥のエサの中にトぶ要素がある
なんていうので、
飼っていた鳥かごから
「ちょっとゴメンね」
なんて言いながらエサ箱を取り出し、
机の上にぶちまけてみたのだが、
そこからど〜してよいのかわからない。
当然、同じく母親から叱責をかう。
仕方なく近所を出歩き、
もう一度先輩に出くわさないかと、
ウロウロしたのだが、
冨士夫の歌じゃないが、
♪追えば追うほど、逃げちまう〜♪
ってわけである。
(先輩の家の在処は知らなかった)
しかし、月日が経つにつれて、
そんな青春の純粋?な情熱も、
だんだんと冷めていくものである。
やがて、結婚と同時に子供も生まれ、
幾何学模様モドキも
なんとなくだが理解した頃に、
突然に先輩と再会したのだった。
先輩は良い意味で相変わらずだった。
かつてほどではなかったが、
髪も長かったし、
たれ目の笑顔も
ピースでラブに溢れていた。
「最近は家によくいるよね、何の仕事をしてるの?」
(相変わらず我が家は、オモテから丸見えだったのだ)
15年前に出くわした交差点から、
さほど離れていない路地での会話。
時は流れ、1988年になっていた。
あっという間の川の流れの中で、
オッサンにさしかかる先輩と自分がいる。
「デザインをやってるよ、フリーになったんだ。それと、バンドのマネージメントもしてる」
ロック好きの先輩のために、
ちょっとだけ興味あるフレーズを入れてみた。
「バンド?何ていうバンドなの?」
「別に、メジャーじゃないからさ、知らないと思うよ。だけど、山口冨士夫っていうミュージシャンがいる」
「えっ!?冨士夫!?」
先輩の目の色がが明らかに変わった。
ここまではよくあることだ。
冨士夫にはワルいが、
冨士夫は伝家の宝刀である。
当時のロック好きな輩なら、
誰しもが興味を示す存在だった。
だから、刀を抜くこの瞬間を
僕はけっこう楽しんでいたりするのだ。
ところが、である。
「冨士夫かぁ…。彼は元気なの?懐かしいなぁ」
そうのたまって、目を宙に泳がせる先輩。
ムムッ!? 意外なリアクションではないか。
知り合いなのか?
僕は、ジッと、先輩のたれ目を見た。
「最近は会ってないけど、村八分の頃の冨士夫を知ってるんだよ。しのぶは元気にしてる?チャー坊は?」
あぁ、なんということだ。
コチラよりも親しそうではないか。
思わず、しなくてもいい
軽い嫉妬を覚える。
話を聞いてみると、
15年前の幾何学模様つながりだった。
そのころの先輩は、
西荻にあった某指圧マッサージ院で
修行をしていたと言う。
そこに幾何学模様でカチコチになった
冨士夫たちがなだれ込んでくる。
先輩は村八分の裏スタッフだったので、
そこらへんの距離感が近かったのだ。
「お前ら、毎回こんなになっちまって、いったい何をやってるんだ?」
しょっちゅう通ってくる
冨士夫たちをもみほぐしながら、
指圧の先生が訊いたのだとか。
すると、いたずら好きなしのぶが
先生にも幾何学模様を
プレゼントしたのである。
その頃の先生は50代。
社会的にも安定した立派な大人だ。
しかし、知覚の扉は、
時として想わぬ瞬間に開くものである。
間もなくして、
先生はマッサージ院を閉め、
「インドに行ってくるから」
と言い残し、旅立って行ったのだとか。(注/実話です)
この、笑い話なのか、
笑えない話なのか、
はたまた、当時はよくあった
エピソードのひとつなのかは解らないが、
面白い話に気が踊ったお返しに、
コチラの現状も先輩に話して聞かせた。
すると、先輩は最近、
カメラマンでもあるのだと言う。
「それはちょうど良かった。昔のよしみで冨士夫を撮ってよ」
そう軽くオーダーしてから、
冨士夫にも伝えた。
「今度のジャケット撮影、Kが撮るから」
「Kって、誰だそれ?」
冨士夫はシャバダバって
世間に再登場したばかりだった。
このタイミングでの冨士夫は、
どこまでも優しく柔軟である。
Kが僕の先輩なんだって解ったら、
「ちょっと、世間は狭すぎるな」
と、苦笑しながらも快諾してくれたのである。
それが『いきなりサンシャイン』の
シングル・ジャケット。
TEARDROPSできたての
ホカホカした瞬間の出来事なのであった。
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あれから、さらに30年が経つ。
気がつくと、人生を川の流れに
例えるどころではなくなってきた。
その先にある景色を、
観念的に想い浮かべる
お年頃になってきたからである。
それでも、先輩とは相変わらずの仲、
都合良く甘えさせてもらっている。
10年ほど前になるだろうか、
昭島で演った冨士夫の
非公式なステージを撮ってもらった。
そのショットを、
『So What/こぼれ話』
の表紙にも使わせてもらっている。
僕は当時の農村住宅地から、
池のほとりにある
神社の植民地に引っ越したのだが、
つい最近、先輩も近くに
引っ越して来たという。
(ってゆーか、コッチが実家なんだとか)
「こんにちは、どーしてる?」
久し振りに電話してみた。
「どーしてるって、いま? それとも最近?」
良い意味で相変わらずだった。
「先輩のブログを書いたから」
と言ったら、
「そういえば、最近、そんな話が多いんだよね。70年代の村八分のライヴ話を聞かせてくれ、とか言われるからさ、けっこう思い出してたところだったんだ」
と言う。
それなら、思い出したことを
忘れないうちに聞いておかなきゃ。
「明日、遊びに行くよ」
そう言って、
庭にある椿の木を眺めてみた。
ウチの椿はまだ咲いていない。
きっと、来週の陽気で
一気に咲き始めるのだろう。
今年こそ、
ボト!って、落ちる瞬間を
見てみたいもんである。
そう想いながら、
春気分に浮き上がる自分がいた。
(1972年〜今)
PS/
春の息吹きを眺めていたら、
どーゆーわけか
先輩を思い出してしまったので、
先週の冨士夫のソロの続きに行く前に、
少しばかり寄り道を。
皆さんも、良い春をお迎えください。