114『大口広司さんの “カッコイイ“』
どこまで続いているのかわからない、
ながーいトンネルに入っているあの感じ。
景色も何も見えないような
漠然とした不安が続いていく。
すぐにでも出られると想っていたのだ。
今までがそうであったように、
今回もどこかで空気が
切り替わると信じていた気がする。
「よぉっ、ちょっと…」
ドラムセットに座っていた大口(大口広司)さんが
スタジオからミキシング・ルームに顔を出し、
廊下にあるリビングを顔で指した。
わりと重い気分で
ちょいとシャレた椅子に腰掛ける。
EMIテラ・スタジオの廊下は、
間接照明を施した
ホテルのような空間になっているのだ。
そこで、大口広司さんと
初めてまともに対峙したのを
今でもハッキリと憶えている。
「よぉっ、あのケダモノをさ、何とかしろよ」
椅子に腰掛けるなり、
少し前のめりになると、
大口さんは独特の
ブラックジョークを投げてきた。
僕の頭の中では、
TVドラマ『前略おふくろ様』が
オーバーラップする。
なんだか妙な気分だった。
ピラニア軍団に混じって演技する
ドラマの中の大口さんが
脳裏に浮かんできたからである。
「よぉ! 聞いてんのかよ?!」
「あっ!? ええ」
そうそう、この顔だ。
テンプターズの頃から
ちょっと、おっかねぇなって思ってたんだ。
あんなにソフトなイメージの
グループサウンズ・シーンの中にあって、
大口さんが着るゴシック調の衣装だけが
なんだか浮いていたよーな気がする。
「なぁっ!このトンネルから、いつになったら抜け出せるんだよ」
けして声を荒げることなく
真に迫ってくる感じで
大口さんが訊いてくる。
僕は、ジョン・ボーナムのような
大口さんの口髭を眺めながら、
とにかく、何でもいいから
この場を切り抜けようと決めることにした。
「了解です。なんとか打開策を考えますので」
そう言いながら僕は、
すっくと立ち上がった。
そして、スタジオへと
進んだその時だった。
「それとさ、明日からワイルドターキーを用意してくれ」
ん? 思わず振り返って訊いてみる。
「ボトル…ですか?」
「そう、毎日一本な。それで、文句なく付き合ってやるよ」
大口さんはそう言いながら、
少し萎れた洋モクに火をつけた。
そして、いかにもワルそうなオヤジ顔で、
ニタリと笑って言うのだった。
「ヤツ(冨士夫)と付き合うには、必要な楽器なんだよ」
………………………………
さて、これは、
冨士夫のソロ・アルバム
『アトモスフィア』の
レコーディング時の話である。
しかし、どうにも
冨士夫が一人よがりで
浮遊しているために、
まわりがぐるんぐるんに
振り回されている恰好になっていた。
「あの時はさ、少しばかりトリップして、ホワイトアルバム(BEATLES)みたいなことをやってみたかったんだよ」
ずぅっと後になって、
奥多摩の温泉に浸かりながら、
ちゃめっけたっぷりに
うち明けてくれた冨士夫だったが、
それは土台無理な話だった。
スタジオの中で無重力なのは
冨士夫だけなのだ。
どうやったら、
その浮かんでは消える音を
掴むことができるのか、
みんなで右往左往していたからである。
篠原さん(篠原信彦)がけん盤で包み込み、
地に足が着くように
冨士夫の心を降ろそうとする。
大口さんが、
ワイルドターキーを流し込んだ
リズムで同調して
アバンギャルドに振る舞ってみたが、
どうもテンポが合わないようだった。
そのうち、ワイハから戻って来た
加部さん(加部正義)が、
冨士夫と絡み始めた頃には、
すでに途方もない時間が
過ぎていたのである。
「クルマを潰しちまったよ」
ワイルドターキーのボトルを
毎日1本ずつ空けて演奏していた大口さんが、
泥酔のあげくに愛車を大破させる。
立て目のクラシックなベンツだったが、
湾岸通りの藻くずと消えたのだった。
この頃からだろうか、
冨士夫のプロジェクトだからと
遠慮をしていた大口さんが、
ドンドン前へ出てくるようになる。
僕にとっては初めてのコトだった。
タンブリングスでも、
TEARDROPSでも、
なんだかんだいっても
常に冨士夫の存在感が前提にあった。
しかし、この頃になってくると、
僕はまるで大口組に
入っているような
妙な気分になってくるのだ。
冨士夫が逗子に住んでいたこともあったが、
コチラからでは遠くて
とても動きを把握しきれない。
付け加えて、
あまりにもふーさんが浮遊し過ぎて、
何時にスタジオに来るのかさえも
解らない状態だったからである。
必然的に僕は、
スタジオで冨士夫を
待ちわびる彼ら全員に
気を遣うこととなる。
主人公のいないスタジオは、
多くの想像力を必要とした。
なんとか壊れないようにと
不条理な時間をも共有し、
愉しもうとしていたのである。
その結果といっては何だが、
だんだんと冨士夫抜きのバンドが
出来上がっていったのかも知れない。
それが、
『プラクティス・オブ・サイレンス』である。
大口さんが経営していた
ファッション・ブランド名から
引用したこのバンドは、
まさしく大口広司バンドだったのだ。
この場合のプラクティスとは
習慣なのか?練習なのか?
はたまた他に
何か特別な意味合いを
含んでいたのか?
ついうっかりと、
聞きそびれたままなのだが、
いずれにしても
大胆で繊細な大口さんには
よく似合っていたバンド名のような
気がしていたのである。
………………………………
冨士夫のソロ・プロジェクトから、
いつしか大口バンドへと
話の流れは変わってしまった。
川の流れに例えると、
『アトモスフィア』制作時は濁流だった。
様々な想いを呑み込んで渦巻く
恐い物見たさの誘惑的な流れである。
しかし、その激しい濁流も
いつしかは清々淙々たる
穏やかな流れを取り戻すのだ。
「ちょっと相談があるんだけど、出て来ないか」
ながーいトンネルと
激しい濁流を経験した後の
安堵のひとときに
大口さんが連絡してきた。
まだ西麻布にあった頃の
レッドシューズで、
大口さんと篠原さんに会う。
「このままの勢いで、このメンバーをバンドにしちまおうと思うんだけど、どう思う?」
僕にとっては、
少々タイミングが悪かった。
濁流後の清流で
レギュラーになるデザイン仕事が
流れ込んで来ていたからである。
「時間がないから」
という理由で断ろうとしたが、
「じゃあ、手伝ってくれればいいから」
とまで言われると、
改めて興味が湧いて来る。
なんてったて、
テンプターズ(大口広司)と、
ハプニングス・フォー+1(篠原信彦)に、
ゴールデンカップス(加部正義)
まで付いてくるのだ。
グループサウンズ世代としては
心が躍るシーンではある。
しかし、そこには
ダイナマイツ(山口冨士夫)
が欠けていた。
この頃になっても
浮遊し続けていた冨士夫は、
そのまま濁流の中で
どの宇宙を見ているのだろうか…。
なんだか、果てしない想いが
こみ上げてくる。
後日、最初の打ち合わせのために
大口さんと会った初夏の午後を
今でもハッキリと覚えている。
「ウェスティンホテルのロビーで会わないか」
と言う連絡を受けて
恵比寿ガーデンプレイスに向かった。
ホテルのエントランスから
ロビーラウンジに入ると、
窓際のウェスティンガーデンが
一望できるテーブル席で、
大口さんが軽く手を上げて
待ってくれていた。
花と緑に囲まれた窓辺をバックに、
逆光気味に映る大口さんのシルエットが、
妙にドラマチックに感じた。
「もしかするとこの人は、こんなシーンまで計算しているんじゃないだろか?」
そんな想いが浮かんでくる。
“ジャケットを着てくるべきだったな”
と軽く後悔しながら席につくと、
「おつかれさん、わざわざ呼び出してワルかったね。ここはケーキセットが旨いよ」
と、ダンディな大口スマイルで
1700円以上もする
珈琲セットを薦めてくれはる。
いやぁ、
今でも鮮明に覚えているほどに、
このようなスペースに不慣れだった
練馬の農村住宅地育ちの男に、
新たなる修行の場が
用意されつつあったのだ。
ショートケーキと
アフタヌーンティーを愉しみながら、
これから大口さんがやりたいことを
ひととおり聞いた。
最後にビジョンというか、
ひとくちで言うならば、
「俺のやりたいテーマは “カッコイイ“ってことなんだ」
そう言われて心の中が
ザワついたのを覚えている。
当たり前だが、
冨士夫とはまったく別モノだった。
もしかすると真逆かも知れない。
帰りのクルマのなかで、
ずっと “カッコイイ“を考えていた。
山の手通りが夕暮れに沈み込み、
ポツンとにわかの雨粒が
フロントガラスに落ちてくる。
“もうすぐ、梅雨になるのか…“
渋滞気味の車列に浮かぶ
テールランプの赤色が、
なんだかこの先を
暗示しているようだった。
覗き込むように空を眺めて見る。
チラッと、冨士夫の幻影が
横切っては消えた気がした。
(1991年〜92年)
PS/
昨日、渋谷のラママで、
『プライベーツ』を観て来た。
いやぁ、お世辞抜きでとっても良かった。
久し振りのラママは、
音響や照明の環境も良く、
プライベーツの少しヘビィな
側面をも感じ取ることができたのである。
景色が違うと、
またいいもんだね、
って、そんな感じなのだ。
それと、もう一つの目的は、
『地獄の季節』を確かめることだった。
先日、レッドクロスで観た
あの驚きは、たまたまだったのか?
いやぁ、
やっぱり凄かった。
これは主観だから、
つまりは僕はこんなんが好き、
というだけなのだが、
この旬を多くの皆さんが
目撃することをお薦めします。
それでは、どなた様も、
傘を忘れないよう、
梅雨の季節をお過ごしくださいませ。