117 『京都』高木チカシの “働けもっとたんと”

京都市内を隅々まで散策し、
一冊の観光本を作ったことがある。
ひと月ほど京都の旅館を泊まり歩き、
イラストマップを作成したのだった。

クライアントは鉄道弘済出版。
僕はまだ学生だった。
卒業間際のアルバイトで、
イラストを描きたかった僕には
うってつけの仕事だったのだ。

いま、チマタでは
『京都ぎらい』という本が
売れているそうだが、
好きと嫌いとは
まさに裏腹なものなのかも知れない。
京都という街を理解しようとする時、
その複雑なる奥の深さに
気づかされるからである。

このときの約ひと月の経験が
まさにそんな感じだったのだ。

というのも、基本、
京都の人って、
外の人間に対して
なんだか “いけず“ だ。

初めて京都人に接した当時の僕は、
行く先々で、キュッ!って、
心をつねられる想いをした。

京都人というのは、
一見して人当たりは良いのだが、
コチラが油断して
うっかりと調子良く振る舞っていると、
いつの間にかに嫌われていたりするのだ。

「何がどうしたんですか?」

嫌われた理由が解らずに、
練馬人なら100人が100人、
問い合わせをするところだろう。

ちなみに練馬ってのは、
長年に渡り埼玉県の植民地
呼ばわりをされながらも、
板橋区からの独立を
勝ち取ってから70年余りが経つ。

昨年は『練馬区独立70周年式典』を
石神井公園駅前のロータリーを
封鎖して行っていたほどの
ヘンテコな地域である。

キャベツ畑に話しかけ、
勝手に芝生畑に寝転んでは、
気楽に空と雲の流れを眺めながら
暮らしてきたよーな人種なのだ。

京都人の雅(みやび)なる考え方や、
日本人としての美意識なんか
解るはずがない、
とココで断言しておこう。

そう、ハッキリいって、
オイラみたいな練馬っ子には、
京都人は理解不能なのであった。

「京都で暮らすのは、そりゃあ大変だったよ」

阿佐ヶ谷出身の冨士夫も、
ことあるごとに
鼻を鳴らしながら言っていた。

しかし、冨士夫はある意味、
居候の天才である。
人懐っこい笑顔でギターを弾き、
家主の心を掴んじまえば
京都もへったくれもありゃしないのだ。
何処に行ったって
暮らしていけるのだろう。

1977年に僕がこの京都の
イラストを描いているとき、
冨士夫は『リゾート』と
『村八分再編成』の狭間である。

それこそ冨士夫自身が
色んなトコロを行ったり来たり
していた頃かも知れない。

当時は冨士夫と知り合うなんて
考えたこともなかった。
それどころか、
『村八分』の存在すら
意識したことがなかったのだから、
人生は不可思議である。

京都の河原町辺りだったか、
はっきりとは憶えてないのだが、
『空(くう)』という喫茶店があった。

ソコを紹介するイラストを
描く為に入店する。
学校机や椅子がインテリアの
小さくてヘンテコな店だった。

注意深く店を見渡す。
そのうち、
なんだか腹が痛くなってきて、
狭いトイレに駆け込んだ。

“ふうっ”っと、コトをなして、
一息ついて紙を探したのだが、
それらしきモノが見当たらない。
ふっと、目の前の壁に貼ってある
小さなメモのような文章が目についた。

“かみにみすてられたなら、みずからのてでうんをつかめ”

「やっぱり京都はいけずだ」

ウィットに富むにもほどがあるのだ。

ソレ以来、その頃の経験が
ちいさなトラウマとなり、
京都人と聞くと、
僕は自然と警戒をするようになった。

親しみを込めた笑顔も、
全ては社交辞令なのかも知れない。
褒め言葉も半分だけ本気にしておこう。
とにかく、自分を出し過ぎて、
相手を困らせないようにしなくては…。

なんてね、

早い話が、
京都人にはひと呼吸
置くことにしたのであった。

しかし、高木チカシ(高木親)のときは、
そんな空気を忘れていた気がする。

高木チカシというのは、
TEARDROPSの
ゲスト・プレイヤーである。
ゲストといっても
ほとんどメンバー同然で、
サックス吹きなのだが、
活動はメンバーと一緒なのに
ギャラはゲスト扱いという、
実にありがたい存在だった。

自らも『ギャンブルホーンズ』という
ホーンセクションのみの
トリオをやっていて、
それこそ“ブイブイ”いわせていた
サックス・プレイヤーだった。

僕は彼の事を親しみを込めて、
チカちゃんと呼んでいた。

このチカちゃんが京都人だったのだ。

同じく京都から飛び出た
ボ・ガンボスからの紹介だったのか、
村八分関係の知り合いだったのか、
うっかりと忘れてしまったのだが、
気がついたら冨士夫と
新宿のゴールデン街で酒を呑み、
すっぽりとTEARDROPSの
ステージに収まっていた
という感じである。

丸顔にオールバック。
せっかくのつぶらな瞳を
コワモテサングラスで隠し、
金魚のような唇で
さっそうとサックスを
吹きまくりながら、
センターステージまで
躍り出ることを得意としていた。

↓ そう、こんな感じだ。

性格はすこぶる良い。
文句は言うがワカリヤスイ。
酒は呑むが呑まれない。
そして、何といっても
いけずじゃないのである。

“こんな京都人も、おるんどすなぁ”

なんて、当たり前である。
そもそも僕自身の心の視野が
すこぶる狭いのである。

しかしながら、
チカちゃんには、
困った一面もあったのだ。

激しい乗り物酔いをするのだ。

「新幹線でも酔っちゃうねん」

と言うチカちゃんに、

「じゃあ、グリーン車にしようか」

と問うと、
そういう問題じゃないと言う。

仕方なく、(金もなくだが)
クルマの後部座席を倒して、
チカちゃんを寝かしたまんまで
ミイラのように関西まで
運んだのを憶えている。

ツアーなんだから仕方がない。
移動しなければならないのだ。

♪瞬間移動できたらいいなぁ〜♪

なんて歌う冨士夫に、
ブフォッ!て、
サックスを吹きかけながら、
文句のひとつも発しないチカちゃんが
ツアーの移動時は、
常に横たわっていたのであった。

そんなチカちゃんに、

「サンフランシスコには行きたくない」

と言われたときには、
さすがに困った。

レコーディングだったからである。

「飛行機でも酔うんだ!?」

と、少しばかり驚いた。
まぁ、酔う人は自転車にだって
酔うのかも知れない。
乗り物酔いは果てしないのである。

結局は僕が現地に着くまで
気を紛らわせるための
話し相手になることで
納得してもらった。

メンバーとは2週間遅れの
フライトで一緒に飛び立った
というわけなのだ。

しかし、今度は僕のビョーキが出た。

いつでもドコでも
寝てしまうという、
無神経睡眠病である。
(そんな病気はない)

テイクオフにチカちゃんと
アレコレ話していたのは
記憶にあるのだが、
飛び立つと同時に意識を失い、
気がついたらもうシスコに着いていた。

あわてて隣りのチカちゃんを見ると、
コワモテサングラスに
金魚のような口をして固まっている。

「もうトシのことは信用できひん」

そう切れ切れに呟いて、
初の海外にたたずむチカちゃん。

あの時は、本当に申し訳ないことをした。

「かんにんどすえ」なのです。

さて、そんなこんなで
TEARDROPSの初期から
バンドに寄り添ってくれて、
PVからTV(11PM)まで、
何から何までバンドと一緒に
参加してくれたチカちゃん。

立ち位置はチコヒゲと似ていて、
ちょっと間をおいた距離で
佇んでいたような気がする。

TEARDROPSが終了しても、
冨士夫のソロ(アトモスフィア)の
レコーディングに、
積極的に参加してくれていた。

あれは、´93〜94年くらいだろうか?

冨士夫からは、時おり、
忘れたころに連絡がきていた。

ほとんどがライヴへのお誘いである。

ことあるごとに
誘ってくれるのは嬉しかったが、
離れてみて改めて客観的にみると、
冨士夫のコンディションの変化が
心配するところでもあったのだ。

そんなある日、

「クロコで演るから来ないか」

という誘いを受けて、
嬉々として行くことにしたのである。

久し振りのクロコダイルでは、
冨士夫は少しばかり
ヘビィーにトんでいる感じだった。

「前回のクロコは、冨士夫が来られずにキャンセルになったんだよ」

という声が、
周りから聞こえてくる。

その時の冨士夫は、
山手線をグルグルと
廻りながら寝てしまって、
ついに行き着けなかったのだという。

このライヴは、
そのリベンジでもあったのだ。

「今日はこんなに来てくれてありがとう!」

少しばかりロレリながら始まる、
『ミスター ドライバー』を、
ステージわきで懐かしく
眺めていた、その時である。

「トシ、久し振りやな」

チカちゃんが、ポンと肩を叩いた。

チカちゃんも冨士夫に呼ばれて
観に来ていたのだった。

懐かしさもあって、
アレコレと話したついでに
クルマで送って行くことになった。

「埼玉に引っ越したんで、終電が早いんや」

というチカちゃんを乗せ、
家まで送って行ったのが最後である。
(そういえば、あの時、車酔いはしなかったな)

ソレ以来、
もう20年以上も会っていない。

…………………………………………

京都の伏見で、
老舗の酒造を経営しているという、
よもヤバ読者からメールをいただいた。

チカちゃんが、
京都の磔磔でライヴをしたという
内容のメールである。

いや、コチラが知らないだけで
地元では普通に
演っているのかも知れないが、
それでも、なんだか途方もなく
愛おしい想いがこみ上げてきた。

想えば、京都には随分と行っていない。

青ちゃんと喰った“にしんそば”も、
佐瀬と喰った“湯豆腐”も、
冨士夫と喰った“眠眠 の餃子”も、
カズと喰った“八つ橋”も、
チコヒゲと呑んだ“イノダの珈琲”も、
(なんだか、がっついてばかりだが)

渡月橋の遥か向こうに浮かぶ
陽炎のごとく懐かしい。

できれば、京都に行きたいと想った。

「変わっちゃってさ、昔よりずっと外国人観光客だらけだよ」

と、関西出身の家人に言われてもだ。

「タクシーもバスも、外国人観光客の長蛇の列で乗れないんだよ」

と駄目を押されてもである。

もし、行く機会があるのなら、
自転車で廻ろうと想う。

初めて行ったときのように、
イラストマップを想い描き、
雅(みやび)なる都の空気を、
心いっぱいに吸い込むのだ。

きっと、
22歳の頃の自分とは違って、
村八分の幻影を、
街の中で見かけるのだろう。

若かりし冨士夫の想いも、
今だったら触れることが
できるかも知れない。

そして、何よりも
チカちゃんに会えるのかも
知れないのである。

会って、何を話したいと
想うわけでもないのだが、
会わなきゃ見えない景色が、
過ぎ去った時間の中で、
ユラユラと揺れているような気がする。

思い出とは、
ひょっとすると、
そんなモノかも知れない。

最後に、
TEARDROPSの『LOOK AROUND』
のレコーディング時に録った、
高木チカシの “働けもっとたんと”
をお聴かせしようと思う。

歌詞はなく、メロディだけなのだが、
ちっとも進まない
レコーディングに業を煮やし、
冨士夫たちに対してかました、
ゲスト・ミュージシャンである
チカちゃん会心のデモ曲だったのである。
(ちなみにギターは、ギターを照明に持ち替える前の渡辺大二です)

(1977年〜今)

PS/

エミリ率いるダイヤモンズが
『京都Parker House Roll』 で
ライヴを演ります。

冨士夫が、
【チコヒゲ・冨士夫&レイ】
のスリーピースで、
『京都Parker House Roll』
で演ったライブ映像が、
同じ会場で臨場感たっぷりに
観れるそうですよ。

【 DIAMONDSライブ & 山口冨士夫ライブ映像上映】
80席限定です!
7/15(日)京都Parker House Roll
open18:30/start19:00
前売¥3000 当日¥3500(+1D)
出演 DIAMONDS / GIN
http://parker-house-roll.net/index.html

お見逃しなく!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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