123『フールズやあの時代を思い出して』

1986年の クロコダイル3daysは、
6月6(金)、8(日)、9(月)に行われた。

7(土)がないのは、
すでに他の誰かに
ブッキングされていたからだ。

「ロックな6月の始めに、クロコで3daysをやりたいんですが?」

店長の西さんに連絡した時に、
「土曜はすでに決まっているよ」
と伝えられた憶えがある。

時代はまだまだ
土曜がメインだったのだ。
土曜の夜はみんなが弾ける
エナジー溢れる瞬間だったのである。

『サタディ ナイト フィーバー』は、
´77年米制作の大ヒット映画だが、
その背景には格差社会による
若者のウップンばらしがあったとされる。
3K(きつい・汚い・危険)
の職につく若者が、
週末の遊び場では
ヒーローになれるという内容なのだ。

だから、
1年間を通してのスケジュールは、
まずは土曜の愉しみ事から
埋まっていったのである。

当時、週休2日制だったのは
絶好調な大企業だけで、
なかなか調子の良い中小企業でも、
せいぜいが隔週の土曜休みが、
優良の売りだったのだ。

だから『はなきん』
なんて呼ばれていて、
月に数回来る金曜の夜は、
随分と華やかだったって気がする。

さて、
その『はなきん』な夜に、
山口冨士夫のアコースティックな
ライヴなんてのはどうだろうか!?

6月6日の金曜日、
そんなロックンロールな夜に、
あえて弾き語っちゃうのである。

『アコースティック66(ロックンロール)』

滅多に無い山口冨士夫の
ソロステージに華を添えるのは、
エミリ(Vo/Gu)率いる『ダイヤモンズ』だ。

ベースは元『ガールズ』↓のアミちゃんに、

ドラムは元『G.I.S.M.(ギズム)』のマリオ。

「ほんとに演んのかよ、俺1人じゃステージが保たないゼ」

と愚図る冨士夫のために、
『ダイヤモンズ』が
ステージアクトを務めたのであった。

この年の初めから、
冨士夫はシーナ&ロケッツに
ゲスト参加していて、
自らのバンド『タンブリングス』も
何だか中途半端な状態であった。

しかし、皮肉な事に
ロケッツに参加した影響で
新たなるオーディエンスが
期せずして押し寄せて来た
時でもあったのだ。

以前は、演っても演っても
パラパラだった客席は、
テクノやポップが
主流だった音楽シーンが
再びロックに返り咲くかのように
満杯になっていったのである。

翌々日の6月8日/日曜日は、
その『タンブリングス』の登場だ。

『サイケデリック・ブルースナイト・スペシャル/冨士夫&タンブリングス』

タンブリングスは、
前年に冨士夫が1年間の
長期出張に出ていたため、
3人で活動していた。

それで、4人揃ったこの夜を
『冨士夫&タンブリングス』
なんて明記したのだろうが、
これじゃあ、真意は伝わらない。
う〜ん、我ながら
実にあさはかで陳腐な
表示だったのだ。

さて、日をまたぎ、
3日目にいってみよう。
6月9日のロックな日は
フールズの登場である。

ヴォーカル・伊藤耕/31歳。
ギター・川田良/31歳。
ベース・中島カズ/28歳。
ドラム・マーチン/30歳。

煮ても焼いても喰えない輩達が、
ガキでもオッサンでもない
ちょうど良い男前になって、
計算なしに転がっていた。

フールズのワルい癖でもある、
ムラのあるステージングも、
解消されてきた時期だった。

メンバーの体調(?)次第で、
どうにでもなる『フリーダム』は、
やっと独り善がりを越えて、
コチラに向かって
拳を上げ始めた感じだったのだ。

それを解っている客たちが、
気まぐれにタムロっているスタイルから、
一心にステージへと向き直った。

♪what do you want?
what do you want to do?
いったい何か欲しいんだい?♪

コウがシャウトするヴァイブに、
いつの間にかドコからか
降ってきたような女の子たちが、
腰を揺らしながら踊っている。

「俺はその日のステージに上がった1曲目で客席のターゲットを決めるんだ。今夜はこの娘を思いっきり震わせてやろうか、ってね」

普段からそう言っていたカズが、
前列2番目のテーブルでノッている
ソバージュヘアーの女の娘に向かって、
ベースをブンブンいわせ始めた。

明らかに自分に響いてくる
ベース音の波長に、
たまらずに立ち上がったその娘は、
両腕を大きく振り上げて
ファンキーなリズムの渦に
身体をくねらせるのだ。

♪what do you want?
what do you want to do?
まるで借りてきた子猫ちゃん♪

ソレに気づいたコウが、
カズに負けじとちょっかいをかける。
マイクのコードに
クルクルと絡まりながらも、
ステージから落ちる寸前で、
奇跡的にステップを踏むのであった。

会場中が瞬間、
狂ったように揺れ動いたように想えた。
女の娘たちはクルクルと舞い、
男どもは自我を捨てて
ひたすらに叫びまくっていたのである。

………………………………

「コレっ!! 初めてフジオちゃんとデザイナーとして絡んで手伝った”PSYCHEDRIC BLUES NIGHT 3DAYS”のポスターなんだ」

先日、デザイナーの中村俊彦が、
思い出したようにツイートした。
しかし、ポスターを作ったくせに、
この3日間の事を
覚えていないのだという。

可笑しなことを言う奴だ。
そう想いながら
思い出してみた次第である。

彼は『ティアドロップス』の時代に
デザイナーとしてウチの事務所に入り、
その後の10数年間に渡り
一緒に仕事をした仲間なのだが、
この頃はまだ間接的な知り合いだった。

当時のフールズの
マネージャーだったM氏に、

「フールズのライヴ・チラシを作ってくれないか」

と頼まれ、
中村の家に連れて行かれたのが
最初だったのだ。

会ってみると中村は、
フールズと同じ系統の匂いがした。
危うくも尖った感じ。
僕みたいなデリカシーのない
脳天気な人間が関わると、
簡単に傷つけてしまいそうな
繊細な感じだったのだ。

現に彼は僕なんかより、
ずっとフールズの近くにいた。

「何て事はない小話として、聞いて欲しいんだけど」

そう前置きをしながら
中村が当時を振り返り、
フールズのエピソードを
教えてくれたので紹介する。

「あの頃はさ (´80年代)、
しょっちゅうフールズのメンバーが
俺んちに遊びに来てて、
何だかんだと
楽しむことが多かったんだ。
その中でも印象深い出来事が、
“Wastin’ Time, Off Your Beat”
の曲作りの時なんだよね。
この曲はある日の午後、
確か3時頃だったかな、
コウとカズがオレんちに遊びに来てさ、
まあ、最初は世間話をしてたんだけど、
突然にカズがギターを手に取ってね、
おもむろに爪弾き始めたんだ。
すると、コウが自然と寄ってきて、
カズのギターに顔をくっつける
くらいの勢いでさ、
メロディやコードを探ってるんだ。
コウはギターが弾けなかったからね、
“こんな感じにしようゼ”
って口音でイメージを伝えると、
それをカズがコードに置き換える。
“そうそう”とか、
“違うよ、こんな感じ”とか言って、
コウがカズのギターの弦を、
正面からジャジャジャっとか弾いて、
リズムのやり取りをしているんだ。
すると、次第に少しずつ
かたちが見えてきてさ、
曲あたまの”Wastin’ Wastin’ Time”
の部分が決まった。
次にサビの部分がカタチ作られ、
ラップ調のボディ??が
コウのインスピレーションで
どんどんと沸き上がってくる。
そこで、ひと息つくのか?
っと想ったんだけど、
どちらからともなく
“通しでやってみよう”って事になり、
我が家は完全にスタジオ状態。
二人だけの世界は延々と続き、
気がついたら、
とっくに夜は明けていて、
翌日の昼過ぎになっちまってた。
改めてその集中力にも
驚いたんだけど、
“Wastin’ Time(無駄な時間)にどうしよう”
っていう歌の内容とは反対に、
奴らの音楽に対する姿勢が
とても素晴らしいと想ったよ。
大げさな言い方かも知れないけど、
目の前でまるで魔法のように
曲が出来上がっていく様を見て、
とても興奮したし、
2人には言いようの無い
尊敬の念を抱いたんだ」

この中村の経験に近い事は、
僕にも憶えがある。

まさか、24時間近くも
彼らと付き合ったことはないが、
フールズの曲作りの風景は、
飲み屋や誰かの部屋の中にあった。

時にはリョウが
コウの抽象的なイメージを
音として表したりする。

『あの娘はメロディ』
という曲があるが、
あれは夏の暑い最中に、

「いやぁ、暑くてさ、プールに行ってきたんだけどよぅ、プールサイドで寝転んでたら、色とりどりの水着を着た女が目の前を通るのよ。プールに寝転んでるとさ、アレだな、み〜んな可愛く見えるのな」

とか言いながら
スタジオに現れたコウが、

「ちょっと、いいかい?」

とリョウやカズをせかして、
あっという間に仕上げた曲である。

♪あの娘は 素敵なメロディ
気ままなメロディ
あの娘が笑いかければ
オイラの心はハッピネス
……………
ハ ハ ハレルヤ
地球はいろんなメロディ
ハ ハ ハレルヤ
朝まで踊ればハーモニー♪

この曲を聴く度に僕は、
プールサイドで戯れる
カラフルな水着を着た
女の娘たちを連想する。
可愛い女の娘たちを
メロディに例えて、
愉しそうに遊んでいる風景は
まさにハーモニーなんだな。
なんて、コウの才能を想い、

「ちょっと、トシ、プールとかサウナとか行くから金をくれよ」

と言う要望には、
なるべく応えることに
したのであった。

………………………………

さて、
10月16日は伊藤耕の命日だ。
早いもので1年が経つ。
コウやリョウとは、
同じ年だったからだろうか、
なんだか昔から知っている
同級生といるようだった。

もし存命であったなら、
爺い同士でもう一度、
肩の力が抜けた付き合いが、
できたのかも知れない。

そう想うと悔しい限りである。

数年前になるだろうか、
『驢馬』というバンドをやっていた、
大坪ヴォーカリストに、

「いちばん好きだったバンドは何ですか?」

と訊かれた事がある。

何てことはない質問なのだが、
不意をつかれてドギマギとした。

「いちばん?ビートルズだけど、今さら、そうじゃないような気もするし…」

僕らの時代は何でもアリだったから、
流れているサウンドを
想いのままに追っていたのだ。

アナログ世代はそれらを集めて、
自分だけのカセットテープを作ったりする。
それぞれが作ったテープを再生して、
みんなで聴いたりするのが
愉しかったのである。

「スティングやU2かな?」

そう言い直したら嘘になった。

確かに嫌いではないが、
若いミュージシャン相手に
恰好をつけようと思って、
思いがけないア−ティスト名が
口から飛び出したのである。

「スティング?……ですか、なるほど」

そう言う大坪ヴォーカリストの、
妙な笑顔が気になった。

しつこく言い直そうと思ったが、
もう、いいや、って感じになった。
考えた事もなかったのだから。

でも、あれから、
ことある事に、
ふと、考えたりしていた。

“いちばん好きだったバンド”

なんてあるのだろうか?

音楽の好みは感性だから、
その時々によって
変わっていくけれど、
いちばん愉しかったシーンなら、
朝方見たの夢のように
いつだって思い出すことができる。

会社帰りに、
残業や打ち合わせを振り切って、
クロコダイルに駆けつける。

まばらな客席の中で、
息を切らせながら
ステージを観ると、
もう、フールズの演奏は
始まっているのだ。

♪たった今から 始めようぜ
気分次第で どうにでもなるのさ
その気になれば コッチのものさ♪

コウの詩はいつも、
心の中で “お前もそうだろ?”
って問いかけてきた。

カズのリズムは常に快楽的で、

リョウのハウリングは、
日々の中に必要な怒りを
想い起こさせた。

そして、マーチン。
彼を思い出すと、
僕はとてもリラックスできるのだ。

だから、

「僕はフールズっていうバンドが、いちばん好きだったんだよね」

もし、もう一度訊かれたら、
そう答える準備はできているのです。

(1986年/クロコダイル)

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伊藤耕追悼企画
「KEEP ON ROCK&DANCE 耕もね!」
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前売¥2000/当日¥2300(+1D)
【出演】 マンホール/ The-Ding-A-Lings /THE TRASH /イトウコウサンズ

 

 

 

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