127『大阪“BAMBOO”その2』“LIVE AT SUM”
カキピーがこんなに
美味いとは思ったことはなかった。
小皿に盛ってあるのだが、
ウーロンハイでソレを流し込みながら、
やっとのことで
腹をもたせていたのである。
「冨士夫ちゃんは、いつも誰にも言わずにお忍びで来るねん」
追加のカキピーを袋から出しながら、
高濱(たかはま)さんが笑顔を寄せる。
「冨士夫ちゃんがまた、長いことウチにおんねん。すでに着るもんもなくなって、俺の服を着てるんやけどな。日にちが経っていくと、上着からズボンまで、だんだんと冨士夫ちゃんが俺になっていくってわけや。妙なもんやで。それでいながら、また、こっちに気い遣ってくれるねん。だから、ついつい、何でもかんでも全然オッケーね、なんて言ってしまうねんな」
“みんな、おんなじなんだな”
と、思った。
冨士夫に関わると、
妙な気遣いにほだされて、
ついつい 、何でもかんでも
全然オッケーしてしまうのだ。
冨士夫は、いわゆる居候の天才だ。
16の時に施設を出てから、
ジョージ先輩のアパート、
瀬川さんの家、
チャー坊の家、
ジニーの部屋、
ビショップの部屋、
北鎌倉の我が家、
と解っているだけでも、
ものの見事に移り住んでいる。
高濱さんタイプの
短期滞在型をも含めると、
いったい何十人の家主が
手を上げるのだろうか?
一度、全員を集めて酒でも呑み、
だらだらとした、
よもヤバ話でもしてみたいものである。
「黙ってたら、ずうっとギターを弾いてはる。弾きまくって、弾きまくって、いつまでもギターを離さへんから、聞いたんや、
“いったい、どのくらい弾き続けることができるんや?”って。
そしたら逆に、
“どのくらい俺がギターを弾いてきたと思ってるんだ?”
って言い返されたわ。
“2〜3日でも、弾き続けられるんか?”
って、俺もしつこいね、繰り返し聞いたんや。
“あったり前だろ”って。
“なんだったら、お前の夢の中にまで出て、弾いてやろうか?”って(笑)。
“それは勘弁やで、冨士夫ちゃん(笑)”って」
そう言って高濱さんは、
僕のグラスにウーロン茶を注いできた。
空きっ腹に何杯も呑んだから、
酩酊顔にでもなっているのかしら?
と、少し心細くなり、
隣りのKoくんを見やると、
あろうことか、
Koくんの方が
カウンターにうっつぷしている。
“こやつ、ダウンしたのか?”
と思って覗き込むと、
「そっすね!そんな冨士夫さん知ってます!」
と、いきなり、
起き上がりコボシのように
半身を起こした。
「すっごい機嫌の良い夜中に、突然に冨士夫さんが、ジェフ・ベックを弾きだしたことがあったんす」
と普通に喋り始めたのだ。
「それもアルバムの演奏を完全にコピーしていて、“誰にも言うなよ”とか言いながら聴かせてくれたんすよ」
と言う。
「そうそう、そんな感じなんや。俺はジミヘンの『Little Wing』を聴いたで。このガットギターでさ(笑)」
と言って店に飾ってある、
古いガットギターを指した。
「それがまた、すさまじくイイんや。冨士夫ちゃんが夜中にフラッと、一人で店に来てな、たまたま他に誰もいなくて俺一人やったから、俺しか体験してへんのやけど、“ギター貸して”って。“聴きたい曲ある?”って言うもんだから、『Little Wing』って言ったら弾きだしてね。この弦高の高いガットギターをだよ、完璧に弾きこなすんやわ。他でも『Little Wing』は聴いたことあるけど、あんときの冨士夫ちゃんの『Little Wing』聴いたら、他はみんなスッポンや。ほんまもんの月を眺めたら、そんな風になるねんなって、初めて解ったわ。まぁ、天才やね」
「“天才は差別用語だ”って、冨士夫さん、言ってましたよ。練習さえすれば誰だって上手くなれるんだって。45回転のレコードを33回転で何度も聴いて、フレーズを憶えるんだって言ってました」
と、2人の冨士夫談義が止まらない。
僕にも2人と
同じような体験は何度もある。
というより、
そうやってギターを
弾いていること自体が、
冨士夫の日常だったのだ。
「ずうっとウチに泊まってて、突然に“今日、ライヴやるよ”って言いだすんや。“今日?客、来えへんで”って言うと、“いいよ、そんなの”って言うんやけどな」
それが、『LIVE AT SUM』である。
いうなれば、
日常の延長線上でのステージだ。
「基本的に大阪のライヴはリラックスしてるねん。そういえば、冨士夫ちゃん、“家の中で演る感じでやるね”って、言っとったわ」
そう言いながら、高濱さんが
新たにウーロンハイを作ってくれる。
「弱そうな顔して、意外と強いんやな」
と言われて、
なんだかコッチも
調子にのってきた感じだ。
横を見ると、Koくんも
小休眠したのが良かったのか
活気を取り戻している。
映像では、若かりしオスが、
“ケセラセラ”を歌っていた。
テッちゃんがハープで色をつけ、
冨士夫が愉しげに
揺れているのがわかる。
「そろそろステージの終盤や。この後、テツは冨士夫とオスを引き連れて、京都まで戻って行くんやけどな。タクシー2台やで、幾らかかるんかわからへんやないか。“お母ちゃんも冨士夫ちゃんに会いたがってるから”なんてな、連れて行ってしもうたんや」
そう苦笑しがら高濱さんは、
壁に飾ってある1枚の絵を指した。
「この絵も当時の冨士夫ちゃんを描いたものなんやけどな。描いた奴は、今は高校の美術教師になってるんやけど、当時はウチの常連で、ライヴの日にたまたま店を手伝ってもろうたんや。そしたら、冨士夫ちゃんに一目惚れしてしもうて、あるやんか、男が男に惚れるっちゅうやつ。初めて観る冨士夫ちゃんの演奏に、乙女のような目になっちまったんや(笑)。その想い、勢いのままに一晩で描いて持ってきたんやで」
冨士夫には、そんなところがある。
高倉健ではないが、
ある意味、女よりも男にモテるのだ。
高倉健のヤクザ映画の上映では、
後ろから切られそうになると、
「健さん、あぶない!」
と、思わず客席から
野太い声がかかったのだとか。
「ふじお〜!(※弦が切れてるぞ〜)」
ってのは、ソレとはちっと違うが、
客席から飛び交う男どもの、
太〜い声援は
冨士夫のステージの
専売特許だったのだ。
テッちゃんにとっての冨士夫も、
かけがえのない存在だったのだろう。
テッちゃんは美術愛好家で、
現実の世界とは少し間をおいた
浮世離れしたイメージがあったけれど、
そのぶん、深い心を大切にしていた
京都人だったと僕は想っている。
冨士夫やチャー坊が、
自らの存在感や生い立ちから、
お互いに向かい合って
ほんとうの“日本”を意識した
『村八分』作りに共鳴した時も、
テッちゃんは京都人のまま、
ありのままに参加し、
接したのではないだろうか?
必死に自分に立ち向かう
冨士夫とチャー坊とは別に、
自然体のテッちゃんは
ニュートラルな立ち位置で、
2人の良き理解者だったのだ。
「こうやって、冨士夫の映像を店で流すと、客がみんな見入っちゃってな、あまり酒を呑まへんねん。だから商売あがったりや。2時間ビデオ観て1杯はないやろって(笑)」
そう明るく愚痴りながら、
次に流す映像を探る高濱さん。
「例えば、ウチでやった時のライヴチャージは3000円なんやけど、ソレは全部冨士夫ちゃんのもんや。だから、ウチは客に呑んでもらわんとあかんのやけれど、ビデオ観るときと同じで、客はみんな冨士夫ちゃんに見入っちゃって、誰も酒をオーダーせえへん(笑)」
ライヴが終わったあと冨士夫が、
「売上はどうだった?」
と聞いてきたという。
「ぜんぜんアカンかったわ」
と正直に答えたら、
「“じゃあ、これやるよ”って、1万くれはるんや。“そんな、ええのに”って言ったんやけど、正直嬉しかったわ。冨士夫ちゃんのそうゆうところがええねん。やさしいねんな。いつも誰かを気遣ってるんや」
大阪難波千日前、
ブルースとお笑いとたこ焼きが、
同じ窓から眺められるような
滅多に無い風景が味わえる。
「冨士夫ちゃんは、大阪があってたのかも知れへんな」
カキピーが無くなったので、
別のスナック菓子を開けながら
高濱さんはつぶやいた。
「大阪は東京みたいにかっちりしてへんし、なんでもかんでもゆったりや。だから冨士夫ちゃんは、時々リフレッシュしにに来るねん。そんな歌や。そんな演奏や。ぼちぼちいこかってな」
そう言いながら目の前に、
新たなるスナック菓子と、
お替わりのウーロンハイが並ぶ。
「ぼちぼちいこか」
冨士夫の気分が、
少しだけわかったような気がした。
(1999年〜今)