133『桜/4年目の春』

春になった。
桜が咲き誇り、暖かい風が流れ、
肌寒い季節とはオサラバするのだ。

“プシュッ!”っと、
缶ビールの栓を開け、
ゴクゴクと喉の奥に流し込む。

とたんに思い出すのは、
まだ未来が見えていなかった
とお〜い昔の北鎌倉の頃、
裏山から流れるように落ちて来る
桜吹雪の風景なのだ。

ヒラヒラと舞い落ちる
花びらを眺めながら、
行き当たりバッタリの
人生が始まったかのように、
新居の縁側でユラユラと
揺れていたそのときだ、

“ガタンッ!”
という庭木戸が開く音と共に、
エミリがやって来た。

水戸黄門でもあるまいに、
両脇に男を従えている。
助さんは『山口冨士夫』、
格さんは『石丸しのぶ』と名のった。

瞬間、
“ビュ〜ッ!”っと春風が吹き、
満開だった桜が景色を舞い、
軽快なお囃子と共に
人生の回り舞台が、
グルリと回転するのだった。

…………………………………

その翌年に見た桜の花は、
国立大学通りを舞っていた。

国立駅の北口にあった
『マーススタジオ』で
冨士夫が録音をしていたのだ。

「俺はまだ熱くなれねぇんだ。でも時々、ものすごく熱くなる瞬間があるんだけどな」

みたいな、どっちつかずの
時代がかった言葉を、
冨士夫はよく口にする。

その対面で、
グラサンをかけたマサ(元『外道』)が、
まるで子供のように
うなづいていたのを憶えている。

そのうち、
録音をしたメンバーでの、
ライヴハウス巡りが始まった。

まだ『タンブリングス』
という名もついていない
『山口冨士夫バンド』での、
新宿ロフトの楽屋でのことだ。

「俺はまだ熱くなれねぇんだ。でも時々、ものすごく熱くなる瞬間があるんだけどな」

ふざけているのだろうか?!
と、思ったら、
大真面目で恰好をつけている
グラサン姿の冨士夫が
ギター片手に啖呵を切っていた。

この頃、大好きだったセリフなのだろう。
もはや誰に吐いたかも憶えちゃいないのだ。

横に腰掛けていたマサが、
愛想笑いをする映像が
当時のビデオに残っている。

春になるカレンダーをめくるような
微笑ましい思い出である。

…………………………………

晩年の冨士夫は、
住まいの裏手にある
桜緑道で花見に興じた。

玉川上水沿いの
染井吉野は約400本。
史跡指定も受ける
多摩川八景のひとつである。

ここぞとばかりに
酒と肴を愉しみながら、
昔話にも花を咲かせるのだ。

この頃は年を追うごとに
『村八分』への想いが

募っていく冨士夫だった。

だから、チャー坊の話や『村八分』の話を、
とめどもなく話してくれていたのだ.。

クイっと、コップ酒をあおりながら、
はるか前の京都に想いを馳せるのである。

夜桜を眺めながら、
自分に言い聞かせるように
話す冨士夫を見て、
僕は言葉を挟むのをやめた。

狂ったように咲き誇る桜の花は、
時に人の心をも惑わせる。

その花びらの色の中に、
心まですーっと
吸い込まれそうになったとき、
さーっと散っていくのだ。

そして、やがて来る新緑の季節に、
人々は我を取り戻していくのだろう。

どうぞ、皆様も
良い季節をお迎えください。

『山口冨士夫とよもヤバ話』
4年目の春となりました。

よろしくお願いいたします。

(1981年春〜2012年春)

PS/

『村八分』の話を、
当時3代目のドラマーだった
村瀬シゲトさんから
お聞きしている最中なのだ。

当たり前のことだが、
冨士夫から聞いた世界とは
まったく違う内容なのが、
興味深くて愉しい。

グッドラヴィンからリリースされる
『三田祭』も相まって、
いろいろとまとめていたら、
1ヵ月があっという間に過ぎてしまった。

次回からは、
この2つの内容から
発信していこうと思います。

ー以上、ひと月も
ブログ更新をしなかった
言い訳としてー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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