151『池におちる夢』
池におちる夢をみた。
公園で釣りをしていたら、
誤っておちたのだった。
夢の中の水は、
生命力や健康、
感情の象徴であるという。
水がたまった池の状態は、
自分自身の心理状態を
反映しているのだというのだ。
だから、少しビックリした。
真夜中にドキドキとしたのである。
子供のころは、
ひとりでいることが多かったので、
公園の中で妄想にふけったりした。
父親が釣り好きだったので、
自然と真似をして釣り竿を持ち、
三宝寺池に行くのだが、
頭の中では別の物語が
流れていたような気がする。
一人よがりの非現実の世界で
何かと空想しては愉しむ。
そんな可笑しな子供ではあったが、
決して、池におちたりは
しなかったのである。
だから、少しばかりショックだった。
“何であんな夢をみたんだべ!?”
台所に行って
ゴクゴクと水を飲んだ。
部屋に戻り、
ベッドに腰掛けて
夢で見た池の風景を
思い出してみる。
「池の藻(も)に、月が映っているんだよ」
そんなとき、ふと、
ジョージの言葉を思い出したのである。
去年の秋だったか、
『藻の月』というバンド名の由来を
訊いてみたときの会話だった。
とたんに頭の中で、
池藻にゆらめく
淡い月が浮かんできた。
閉じた頭の中で
グルグルと『藻の月』が廻り始める。
“まっ、いいか、寝よ”
「バンドの名前をつけるときは、気をつけたほうがいいぜ。その通りのバンドになっちまうからさ」
って、いつか冨士夫が言っていた。
“うんうん”とうなずいていた相手は
『フールズ』のコウだったが…。
冨士夫のバンドは
名前の通りだったのだろうか?
“『ダイナマイツ』『村八分』『タンブリングス』『ティアドロップス』……”
“なるほど” なんて想いながら
眠ってしまったのだった。
…………………………………………
次の朝、
昼前に目覚めた僕は、
夢の中でおちた池に
行ってみることにした。
家の裏にある
落ち桜舞う神社を抜け、
城跡のある深緑の森を通ると
丸太を枕木にした階段がある。
土造りの階段なので
滑らないように注意して降りると、
そこには三宝寺池の眺めを
東西に見渡せる橋が
かかっているのだった。
春夏秋冬、
季節ごとに子供のころから
ここからの景色を眺めてきた。
沈んで行く夕陽を眺めると
たいがいの嫌な事は消えていく。
(少しは覚えとけよと仲間は怒るが…)
良い事だけが水面に浮かび、
ゆらゆらと揺らめいているのである。
そう、ここなのだ、
夢の中でおちたのは。
実にこの橋のたもとだったのだ。
そりゃあ驚いて、
水の一杯も飲むだろう。
なんて、
腕組みをしているところに
突然、携帯が鳴った。
ケンちゃんからだった。
ケンちゃんというのは、
『ベガーズ』のヴォーカル、
ミック・ジャガリコのことである。
「もしも〜し、来週のミーティング、なくなったよ」
ミック・ジャガリコは、
バンドと同時に『S・E・X』という
レーベルも主宰しているのだが、
その打ち合わせの変更連絡だったのだ。
『S・E・X』レーベルではかつて、
青ちゃんとジョージが率い、
マーチンのリズムで華やいだ
『ウィスキーズ』のCDを
出したことがある。
その流れは冨士夫をも巻き込み、
忌野清志郎さんをゲストに招いた
『ティアドロップス』の録音へと
つながっていったのだが、
僕らは今、
その30数年間の流れを
逆流しようと目論んでいるのだった。
そんな昨今、
コロナの影響で総てのことが
宙に浮かんで静止している。
すべては安全が優先するのである。
5月1日に予定していた
『藻の月/DIAMONDS/ モンスターロシモフ』
のクロコダイルでのライヴも
中止になってしまった。
誰も感染はしたくない。
だから、ゆっくりとしていよう。
しかしである、
ライブハウスにとっては
死活問題なのだ。
営業ができなくなること
そのものが、
身体に置き換えれば、
呼吸不全になるコロナと
同じ状態であるということを
政府は無視している。
様子をみているうちに
手遅れになるのである。
クロコダイルも必死に
動いていることを知った。
クラウドファンディングの
準備をしているのだ。
立ち上がったら
是非協力しようと思う。
皆さんもよろしくお願いします。
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さて、三宝寺池の橋を渡ると、
水生植物を保護する水辺の向こうに
『豊島屋』という休憩所が見えてくる。
ここで先月の末、
『フールズ』のインタビューを受けたのだ。
ライターのSさんと
カメラマンのTさん相手に、
ある事無い事を
総てある事にして
吐き出してしまったのである。
「あれは総てウソでした!」
と言ったら怒るのだろうか!?
インタビューをするのには
馴れているのだが、
されたことは滅多に無い。
少しのビールとワンカップで
上機嫌になっていく自分が
どうしようもなかったのである。
SさんとTさん、
あのときは有り難うございました。
10年かけて『フールズ』本を
作っているそうですが、
言い忘れたことがあるので、
初夏のあたりにまた来てください。
その時は、
『豊島屋』のザル蕎麦を
付けていただければ、
もっと口が滑らかになると思います。
なんて、このご時世、
土曜だというのに
その『豊島屋』も
自粛しているのだろう。
閉まっていた。
“それにしても、何であんな夢をみたのだろう!?”
そう思いながら三宝寺池を抜け、
ボート池の中頃に
さしかかったときである。
池の中島をむすぶ小さな太鼓橋を見て、
すっかり消去していた
想いがよみがえってきた。
高校生のとき、
彼女とこの橋のへりに座っていて、
あやまって後ろ向きに
落ちてしまったことがあるのだ。
そのときの感覚を覚えている。
一瞬のうちに
オーバーシュートを打つ感覚で、
くるっと空の景色が廻り、
次の瞬間は茶緑色の
濁った世界だった。
知ってても何の得も無いが、
池の底は土やゴミやヘドロで
意外と深いのだ。
ずぶずぶしてなかなか抜けなかった。
焦る気持ちと恥ずかしさで、
周りの景色がぼやけていた。
が、そこからの記憶が
消去されているのだ。
断片的に残っているのは、
ずぶ濡れになった自分が
やたらに臭かったこと。
歩いて帰る途中の彼女が
他人のように遠かったことである。
だから、ここで修正します。
池におちる夢をみた。
場所は違うが、
現実でも落ちたことがあるのです。
夢占いによれば、
生命力を表す水は、
金銭のシンボルでもあるのだとか。
その水がたまった池は、
財運を象徴することでもあるのだ。
夢の世界では、
水の中が無意識を表すことから、
池の夢は無意識を
象徴しているのだという。
万が一、万が一である。
無意識のうちに
この懐に金が転がり込んだら、
俺は宣言する!
クロコダイルを一ヵ月間
貸し切ってやるのだ!
それが、
いま現実に想い描く
ユメなのである。
(2020/4/11)