158『明石海峡』謹賀新年
久しぶりの神戸だった。
以前訪れた時から勘定して
20年近くも経っているのだろうか。
コロナ禍の大変なご時世だが、
身内の引越しを手伝うため
神戸まで来たのだった。
最近はだんだんと
時間の観念が麻痺している。
昔やら現在が、
目の前を行き交う船のように
距離感や速度感なく
通り過ぎて行くのだ。
ただ何も考えずに空っぽになって
明石海峡を行き交う
船を眺めているのが心地良かった。
海辺のレストラン『FESTA』から
淡路島にかかる明石大橋を眺める。
キラキラと輝く水面に
いろいろな想いが揺られ、
浮かび流れていくかのように想えた。
30数年前、僕はここに居て、
同じ風景を眺めていた。
『TEARDROPS』のツアーの合間に
少しばかりサボって、
足を伸ばしていたのである。
あの頃は季節ごとに
東名阪でライヴを行なっていた気がする。
とりわけ関西ツアーでは、
京都を合間に挟むか、
神戸を追加するかで迷ったりした。
両方できれば良いのだが、
『TEARDROPS』の場合、
どちらも大阪から来てくれる
お客さんで成り立っていたから、
どちらかでないと
集客がばらけてしまうのである。
もちろん、京都や神戸単独の
オーディエンスもいるのだが、
それだけでは足りないのだ。
試しに両方ともやってみたら、
たちまち目算が外れ
宿泊代やら飲食費等が
足りなくなったことがあった。
30歳そこそこの丼勘定男が
しでかしている仕切りである。
見切り発車の積み重ねに
無理が生じることの方が多い。
銀行口座も底をついているので、
消費者金融の看板を見上げながら
三ノ宮の街を走り回った記憶がある。
そんな時に限って佐瀬が言うのだ。
「神戸に来たんだから、神戸ステーキを食わせろよ!」
って。
カズを連れて3人で、
一人8000円だったかどうだったか、
とにかくそんな感じの
ステーキを食したことがある。
もちろん、冨士夫と青ちゃんには内緒だ。
あの2人を外して、
佐瀬とカズを伴って
ちょっとした贅沢をするのが
ツアー中の楽しみでもあったのだ。
京都の南禅寺では、
品の良さそうな料亭で
『湯豆腐』を所望した。
サンフランシスコのサウサリートの
船上中華風レストランで、
「ここで一番高いものを食っちまおうぜ!」
とか言いながら、
フカヒレスープを牛のようにすすっていた
佐瀬の勇姿を思い出すのである。
走馬灯のようにといったら大袈裟だが、
明石海峡の風景に愉快な記憶が蘇る。
丼勘定の良いところは、
何も無くてもなんとかなる事である。
悪いところは計画性が無いから、
絶えず崖っ淵にいることだ。
比較的、僕は
崖っぷちを楽しめる方なのだが、
それに付き合わされる仲間は
たまったもんじゃなかっただろう。
ほんと、ごめんなさい。
チキンジョージが神戸での
十八番(オハコ)だった。
山盛りのチャーハンというか
焼飯が楽屋に振る舞われ、
それを食いながらステージを待つ。
「毎回これじゃ飽きるだろ。トシ、たまには他のはねーのか?って店に言って来てくれよ!」
と、鼻を鳴らすのも佐瀬であった。
バカたれめ、なんとバチ当たりな。
そんなこと言えるわけがない。
なんたって、店側からのサービスなのである。
一食浮くではないか、
大変ありがたく戴けば良いのである。
オンタイムになり楽屋を出ると、
吹き抜けになっている
キャバレーを見下ろしながら、
狭い通路を通りステージへと向かう。
眼下のキャバレーから
ふわーっと立ちのぼってくる
酒と煙草と化粧の匂いが好きだった。
かつてのチキンジョージは、
キャバレー『エンペラー』の上に
楽屋があるという
ユニークな作りになっていたのである。
「俺たちティアドロップス!神戸のみんな、会いたかったぜ!」
ちょっとばかり、
清志郎風な言い回しをお借りして、
冨士夫がステージに踊り出る。
神戸の客はわりとクールに構えて
それを迎えてくれることが多かった。
だからバンドもグイグイと
押しながらステージを進める。
テンションを上げ
火をつけようとするのだが、
港っ子はなかなかに難敵だった。
そんな一切合切(いっさいがっさい)を
収めた映像がある。
撮影したのは井出情児さん。
EMIと契約したばかりの『TEARDROPS』を、
ワンカメで東京から神戸、
京都までのドキュメントを撮影している。
その中の一部が編集され、
『Talk to me baby』の
PVとして使われたのである。
機会があれば、
今年はテープの残りのシーンも
日の目を見せてあげたいものだ。
そんなことを想い浮かべながら、
陽に照らされた明石海峡を眺めていた。
30年前も現在も
川のように流れる潮流を、
ゆっくりと様々な
船舶が行き交っている。
それはまるで時の流れにも似ているのだ。
たくさんのコンテナを
載せた貨物船もいれば、
大きなタンカーが
存在感を示して行き過ぎていく。
ふと気がつくと、
橋の遥か向こうに見えていたタグボートが、
古びた貨物船舶を引っ張って、
やっと目の前を通過するところだった。
“なんだ、まだこんなところにいるのかよ”
そう思いながらも、
ゆっくりと揺れ動いて行く姿に、
何故か親近感が湧くのだった。
(1988年頃〜2021元旦)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
昨年中はいろいろあり、
ブログもあまり進みませんでした。
しかし、明けて、
今年はやる気満々であります。
ブログもいろいろと増やし、
愉しんで行こうと思っております。
皆様におきましては
引き続きご自愛ください。
少しでも良い年になりますよう
切に願っております。