159『青ちゃんの誕生日』
昨日は青ちゃんの誕生日だった。
正月明けの1月5日で
ちょうど70歳になる。
おめでたい生まれなのだ。
出生はは台東区の
北部に位置する日本堤。
日雇い労働者の集まる三谷に隣接し、
北東に行くと『あしたのジョー』の
舞台にもなった『泪橋』がある。
「道を間違えんなよ、ちょっと間違ったら『吉原』に行っちまうからな」
と青ちゃんに注意されたことがある。
ここにハマるとタダでは出れなくなるらしい。
もちろん、性格にもよるのだが。
僕が初めて青ちゃんに会ったのは
法政の学館ホールでのイベントだった。
サングラスをかけ、
斜に構えているわりには
声や物腰が妙に優しかった。
『村八分』出身で
『フールズ』のボスという
冨士夫からの紹介であったが、
残念ながら当時の僕には
どちらもピンとこなかった。
やがて、冨士夫がレコーディングすることになり、
マーススタジオに現れた青ちゃんが、
「『フールズ』を辞めてきたから」
と言って来た時にはびっくりした。
それほどに再び
冨士夫とやりたかったのだろう。
なんせ、楽器など何もできない
セツ(モードセミナー)に通う18 歳の学生が、
冨士夫からいきなりギターを持たされて
『村八分』をやらされたのだから、
一生を左右される出来事だったに違いない。
青ちゃんにとっての冨士夫は、
運命を司る責任者でもあったのだ。
しかし、そんな青ちゃんの
『フールズ』のステージでの
立ち振る舞いはやけに硬く見えた。
格好が優先するために
ガチガチに固まって見えたのである。
「高校まで剣道をやっていたんだ」
と聞いて“なるほどな”と思った。
横でリズミカルに動く冨士夫とは対照的に、
“面でも打ってくるんじゃないだろうか”
という構えの青ちゃんがいたからである。
とにかく寡黙な男だった。
ギターの鍛錬もしないのだが、
そんなことは関係ないのだ。
なんてったって江戸っ子である。
練習なんて面倒なことは大嫌いだったのだ。
逆に冨士夫は練習好きの
優柔不断なところがあったので、
どこまでも果てしなく
答えが出ないことがあった。
そんな時は、
青ちゃんに判断を委ねてみる。
というより、
僕がそうしていたのかも知れない。
これは青ちゃんに決めてもらおう。
これはいつもどおり冨士夫だな。
対照的な2人がいるバンドは便利である。
お互いが気心を量っているので、
それを間違えなければ良好なのだ。
そんな青ちゃんが、
格好ずけのステージから脱していくのは
『ウイスキーズ』の頃からだ。
『タンブリングス』の終わりに
その片鱗が現れていたのだが、
それが『ウイスキーズ』で開花したのである。
「(ウイスキーズは)俺が選んだメンバーたちだから」
って、青ちゃんから聞いていた。
青ちゃんとフロントを二分するジョージは、
冨士夫とはまた違うイメージがあって、
とてもバランスが良かったのだと思う。
そこに絡んでくるドラムのマーチンと、
ベースの宮岡がまた格好良かった。
なんの宣伝もなしにおこなった
『ウイスキーズ』のライブが、
客でいっぱいになるのも不思議だった。
それは、僕が知らないジョージや宮岡の
歴史もあったのだろう。
または、『フールズ』や『タンブリングス』が
盛り上がっている時期と
重なっていたのかも知れない。
そんな『ウイスキーズ』がおこなった
クロコでのラスト・ライヴの映像が出てきた。
1987年12月7日のライヴである。
このステージのラストでは、
一ヶ月ほど前に世間に復帰した冨士夫が、
『Don’t Let Me Down』にギターを
合わせているシーンが見れる。
何気なくステージに現れ、
ギターを弾いているのだが、
これがまた、さり気なくて良いのだ。
(この映像はそのうちまた、皆様にお見せできるかも知れない)
この『ウイスキーズ』で青ちゃんは変身した。
“格好良い”と、
“とっぽい”の狭間なのだが、
それが実にイカしていたのだ。
そして『TEARDROPS』に繋がっていくのである。
『TEARDROPS』での青ちゃんは、
ある意味、水を得た魚だった。
その“着流し浪人”のようなたたずまいが、
ステージにも現れたのだろう。
それはもう、実に女にモテた。
ツアーの打ち上げになると、
ファンの子たちも交えて
居酒屋なんぞで盛り上がったりするのだが、
青ちゃんの周りは、
常に若い娘たちで華やいでいた。
するとあっちの席にいた冨士夫が、
スルスルっと寄ってきて言う。
「よおっ、青木のほう、やけに盛り上がっていねぇか?!調子に乗るようなことがあったら俺に報告してくれよ」
マジである。
本気で真面目な異性交流を気取る会
の会長である冨士夫は、
青ちゃんによるバンドの
風紀が乱れるのを嫌っていたのだ。
(半分はひがみでもあったが…)
そんなこんながバンドの醍醐味でもある。
個性の違う人間たちが集まって、
ロックがなんだかんだとか言いながら、
くんずほぐれつしていくのが
実に楽しいのであった。
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70歳になった青ちゃんを想像してみよう。
待ち合わせた三ノ輪の駅の
階段を上がると、
交差点の向こう側で
寒さに身を屈めながら
青ちゃんが待っていてくれた。
先に着いたのだったら
交差点を渡ってこっちで待ってくれても
良さそうなものなのだが、
江戸っ子はそうはいかない。
きっと、あっち側に行きたい店があるのだ。
「わざわざまた交差点を渡るのは無駄じゃねぇか」
そんな勝手な頑固さがある。
駅から日本堤に向かって歩いていると、
かつて一緒に見上げたスカイツリーが現れた。
「出来上がったんだな」
10数年前に共に散歩していた頃は
まだ半分もできていなかっただろうか。
懐かしくも切ない思い出である。
居酒屋に入ると
正月だからだろう、
青ちゃんは熱燗を所望した。
つまみは何だっていいのだ。
出てきたものをつまむのが
青ちゃん風なのである。
「70になる前に孫も産まれたね、重ねておめでとう」
そう言いながら酒を注ぐと、
“ああ”と、愛想なしに応える。
笑うと子供のように
思い切り無邪気になってしまうので、
あえてクールに抑えている。
そんな青ちゃんの本音を僕は知っていた。
程よいところでお開きにするとしよう。
コロナ禍のなか、
正月早々、酩酊してはいられない。
出口で勘定をしていると、
「小さな日本酒でいいから、一本持ち帰りにしてもらえねぇか」
帰り際に青ちゃんが頼んできた。
「いいよ、帰ってから呑むのかぃ?」
「ああ、冨士夫とな」
そう言いながら子供のように
無邪気に笑う青ちゃんがいる。
あっちの世界の正月は騒がしそうだ。
年々盛り上がっているのだろう。
月を見上げながら、
遥かなる時空を想像する。
その想いはどこまでも果てしない…のだ。
(1987年〜現在)