161『高円寺/3月の満月夜に』
今年はテンポ良くブログを
書き進めるつもりだったのだが、
やはり月日の方が一足早く進み、
あっという間にひと月が過ぎてしまった。
それでも寒い季節に峠が見え、
日増しに春を想わせる今日この頃、
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
こちらは、久々に音楽のある日々に
浸っている感じなのである。
『藻の月』の夜会に加わったのだが、
コロナ禍の中、
なかなかライヴもできず、
ミーティングと称した
単なる飲み会もできないので、
ひたすら頭の中でバンドの妄想を
回しているだけなのだ。
それでも、
ジョージ(藻の月)のおかげで
何十年かぶりに絵を描くことがでた。
新高円寺から
テラピン・ステーションまでの
高円寺に続く高南通りを、
描き上げたばかりの絵を
抱えて歩いていると、
ふっと昔の懐かしい情景が
心に飛び込んでくる。
そういえばとぉ〜い昔、
冨士夫が横浜から移り住んだ家は
ちょうどここら辺だったのだ。
道の向かい側から
タンブリングスを始めたばかりの
冨士夫が話しかけてくる。
「何処に行くんだよ、トシ。ちょっと手伝ってくれよ」
見ると、テレビを抱えて
重そうな苦笑いを
浮かべているではないか。
大急ぎで道をわたり、
抱えたテレビに手を貸してあげ、
二人して蟹のような格好になり
細い道を右に曲がると
住宅街に中に一軒の質屋があった。
「二万でいいかい?」
質屋の親父は無表情のまま、
探るように金額を聞いてくる。
「三万になんねぇかな?」
「わかった」
何事にも信用第一である。
そして、何よりも大事なのは
それほどの常連であることなのだ。
「ヨシ!余録が入ったから飯でも食おうぜ」
そう言って冨士夫から
奢ってもらったカツ丼が、
高円寺で最初の思い出になった。
その高南通りを駅前まで行き、
高円寺の南口ロータリーの
東側に少し入ったところに
かつては中古のレコード屋があった。
店主はネズミって
呼ばれている人だったが、
もう一人、
ジュニアという恰幅の良い
共同経営者?がいて、
「お前にバンドのマネージメントとは何たるかを教えてやる」
と色々と伝授してきたのだ。
その時の僕は会社員だったのだが、
ジュニアはそんなことはお構いなしで
「すぐに出て来れるか?」
と会社に電話をしてくる。
そんなこんなで、
突然の呼び出しを食らう僕は、
度々、夕暮れ時の高円寺に向かった。
大概はそのまま誰かの
ライヴに行くことが多い。
YMOの誰それだとか、
イギリスから来たプロモーターだとか、
顔パスでズンズン進んで行く
ジュニアの後ろに居たら、
「今度、山口冨士夫のマネージメントをする事になったウチの新人」
とか紹介されて、
「初めまして。まだマネージメントの名刺ができてなくて」
とデザイナーの肩書きがある
会社の名刺を渡していた覚えがある。
場違いの名刺に
さぞかし相手は困惑するだろうと思いきや、
そのとき紹介された
YMO関連の某マネージャーが、
「先日はどうも」
とか言いながら、
後日、ソッコーで某アーティストの
demoテープを持参して
会社にやって来た。
「CMにどーかと思いまして」
とか言うのだ。
そーゆーこともあるのだな、
と足元から横並びを見渡して
冨士夫をCM業界に
照らし合わせてもみたのだが、
どう考えても無理そうであった。
それこそ冨士夫が山にでもこもって、
全てを洗い流し清めながら、
再起動してくれればいいのだが、
まさにその時の冨士夫は、
その真逆をひた走っていたのである。
結局、ジュニアの様々な試みは
突然の終焉を迎えることとなる。
苦労して作ったコネで
出演させたイベントを、
冨士夫自身が台無しにしてしまったのだ。
まぁそれは、なるようになった
ともいえるのかも知れない。
主催者と冨士夫は犬猿の仲で、
どっちもお互いが嫌い。
どっちも酒癖が悪い。
でも、ジュニアの顔を立てて
どちらも我慢していたのだが、
ついにイベント終わりに
沸点を超えてしまったのであった。
気がついたら、
ステージの袖にいた主催者に向かって、
冨士夫が殴りかかっているところだった。
これを境に僕らは
ジュニアという得体の知れない
大物を失ってしまう事になるのだが、
逆に大きな教訓も得た。
犬と猿を一緒にしてはいけないという、
例外なき確認事項である。
それ以来、冨士夫には、
決して犬をけしかけたりはしてはいない。
………………………………
高円寺という街は、
まさに音楽家や芸術家が
たむろするところで、
たとえ一般の会社員であっても、
話してみると頭の中は
“フツーじゃないな”
なんてことがよくあった。
もともとが下宿街だからだろう。
あらゆる安酒場が軒を並べ、
ほろ酔いの若者と、
もと若者たちを飲み込んでいる。
『タンブリングス』時代、
突然に借りる事になったスタジオも
そんな高円寺の南口にあったのだ。
スタジオの大家さんは
鰻屋を営んでいて、
五日市街道沿いの成田3丁目に
店舗を構えていた。
高円寺駅から歩くと
20分ほどかかるのだが、
毎月そこまで家賃を持参するのだ。
「まぁ、駆けつけ一杯いこうか」
暖簾をくぐって
家賃の入った封筒を取り出すと、
まずは必ず飲まされる。
美味い鰻をご馳走になることもあったが、
何回かに一回は
家賃以外の万札を握りしめて
訪れることとなるのだ。
「毎度!いつもワルいね。あんたも店をやるんだったら、うどん屋がいいよ。原価が安いからね」
なんて、聞いてもいない話をされるのだ。
気がついたら、
月末の真っ昼間に必ず来る
常連客という体(てい)になっていた。
客のいない真っ昼間から、
家賃を払いに行って飲むのだから、
まだ頭上に太陽があるという時間に、
真っ赤な顔をした自分が、
帰り道に覗き見る
高円寺のウィンドウに映り込む。
ロレツの回らない口調で、
公衆電話から会社に
直帰連絡をしていたのを覚えている。
他の街では不審がられる
昼下がりの酔っ払いも、
高円寺ではお咎めなしだ。
珍しくもなんともないのである。
そんなところは今も昔も変わっちゃいない。
頭上に輝いて見えた太陽が、
いつの間にやら
月の光に変わったとしても、
高円寺を行く若者は
古くからいる“もと若人”と
そこら中で乾杯しているのである。
そんな風景を何の気兼ねもなしに
再び見られるのは
一体いつのことだろうか?
コロナの終息を願いながら、
春の息吹に向かって身構えているのだった。
………………………………
「今夜、月と火星が接近」
先週の金曜にジョージからメールが来た。
上弦に向けて満ちてきている月に
火星が近づいているというのである。
“白い月と赤い火星の共演か”
〜なんて、物干し台から
吸い込まれそうな夜空を
眺めているうちに、
浮世の想いも流されていく。
僕たちの住む世界は
この先、一体どうなっていくだろうか。
考えても答えのない問いが、
月に照らされている。
火星には新しい探査機が降り立ったらしい。
そう、時は刻々と刻まれているのだ。
(1983年〜今)
PS
コロナによる緊急事態宣言の中、
今後どうなるか不安定ではありますが、
3月の満月夜にライヴをおこないます。
『藻の月』と『ダイヤモンズ』が
接近する要注意な夜なのですが、
限定入場制限があるかも知れません。
※詳しくは後日告知させていただきます。
『Full Moon Surprise!』
3月29日(満月)高円寺『ShowBoat』
●出演●
『藻の月』
『ダイヤモンズ』
『ものけばー・ジェット』
『リョウ・ユニット』
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