162『ジャケット撮影/アーティスト写真』
春浅い日曜の高円寺は、
予想通りの人出であった。
北口のロータリーには
時間を持て余す若者たちが、
行くあてもなくたむろっている。
そんな高円寺駅のガード下に車を停め、
『藻の月』のメンバーを待つことにした。
今日はバンドの撮影をするのだ。
俗に言う『アー写(アーティスト写真)』
というやつである。
こーゆーことをするのは
実に久し振りであった。
遥か30年前に散り去った
TEARDROPS振りなのかも知れない。
………………………………
1987年10月23日の朝9時に
シャバダバっと
世間に現れた冨士夫は、
7日後の30日に『Whiskys』
クロコダイル・ライヴに飛び入り、
その10日後の11月10日には
『いきなりサンシャイン』
をレコーデイングしている。
なんという早技だろうか。
世間に慣れるための
調整も何もあったもんじゃない。
全ては私が仕組んだ
デリカシーのない復帰計画のせいだ。
苦笑いをしながら
それら全てを受け入れてくれた
冨士夫が愛おしい。
その『いきなりサンシャイン』
のジャケット撮影は、
さらに3週間後の12月3日に
新宿西口公園で行われた。
花壇のために盛り土が
してある植木の花山に、
メンバーが登る形で
初々しく行なったのである。
カメラマンは我が中学の
一級上のカツベセンパイ。
実に内輪である。
カツベセンパイは、
偶然に冨士夫とも顔見知りで、
(というのも凄い偶然だが)
アットホームな撮影会と
なったというわけである。
冨士夫はこういう成り立ちが好きだった。
なるべく内輪の仲間たちで
いろんな物語を作りたかったのである。
世間に再登場したばかりの冨士夫が、
短髪のはにかんだ姿で
風に揺らいでいるようだ。
なんとも楽しい小春日和だった気がする。
冨士夫の古くからの友人で、
野内さんというカメラマンがいた。
福生在住の物静かで知的な自由人だった。
野内さんは80年代のアメリカを横断して、
広大な大地を旅写している。
90年代にはヨーロッパを旅して
石の文化をフィルターに収めていた。
感覚と理屈が常に絡み合っているような
複雑なところもあったが、
基本はのんびりとした
気の優しい兄さんだったんだと思う。
その野内さんがTEARDROPSの
デビューアルバムを撮ることになるのだ。
「ブルーのイメージでいきたい」
と注文をつけたのは、
確か冨士夫だったと思う。
撮影場所はレコーディング中だった
新宿のジャムスタジオ。
年が明けた1988年の1月末から
3月の中頃までのどこかだろう。
以前と比べて冨士夫の髪が
数ヶ月分伸びているのがわかる。
佐瀬が『闘魂』のシャツをひけらかして、
場違いにバンドを
鼓舞していたのを思い出す。
“良いことしか思いつかない”
頭の中は完全に躁状態であった。
さて、ここからは東芝EMI絡みだ。
突然にインタビューが増えて、
音楽雑誌にTEARDROPSの姿が
頻繁に登場する。
ツアーも機材車から新幹線移動になり、
単にバンド活動を楽しんでいた世界から、
多忙と緊張感でアンバランスな
メジャー段階へと突入したのだ。
「ほんとに俺たちはこれでいいのか?」
冨士夫は自問自答していたが、
他の3人は気軽に構え、
喜んでいるように見えた。
アルバム『らくガキ』の撮影は、
そんなメジャー感を利用するべく、
あえて大御所に依頼することにした。
お願いした鋤田正義先生は、
マーク・ボランやディビッド・ボウイなども
撮影したロック創世記のレジェンドである。
しかも、若き日の冨士夫を
村八分のフィルター越しに接写した
貴重なる存在でもあるのだ。
撮影にはツアー先の大阪から直行した。
途中で佐瀬とカズが
派手に殴り合いの喧嘩をしたので、
スタジオ内の空気は最悪だった。
その事を怒っているのか、
単に疲れて不機嫌なのか、
冨士夫と青ちゃんも
寡黙だった気がする。
そんな中で、
どのタイミングで
鋤田さんのサインをもらおうか?
そんなことしか考えられない自分を
今でもしっかりと覚えている。
世はバブルであったが、
僕らにはさしたる影響もなかった。
しかし、思い返してみると、
この時期にアメリカの西海岸や
ジャマイカでレコーディングできたんだから、
それこそバブルの恩恵だったんだろう。
円高のおかげで、
シスコの有名スタジオが
1日10万で使用できたのだ。
ちなみに当時の
東芝のスタジオ使用料は
1時間5万円であった。
アルバム『Mix’n Love』の撮影は、
レコーディングの合間に
シスコの海岸沿いの街、
サウサリートで行われた。
カメラマンはハワイ出身のHenry Diltz。
プロデューサーだった
久保田麻琴さんのチョイスなのか
EMI関係の流れなのか、
日本を離れた陽気のせいで
さして気にもしていなかった。
ただ僕はこの頃から、
『谷間のうた』『Mix’n Love』の発売で
何事も起きなかったら、
“ヤバいゾ”って思っていた。
これからのTEARDROPSの経済を
案じていたのである。
その矢先、
『谷間のうた』が放送禁止になった。
瞬間的に対応したタイマーズが
某ヒットスタジオでメディアテロを行い、
世間に話題だけは広まったが、
『谷間のうた』売上の広がりは、
今ひとつ蕾んだままだったよーな気がする。
これで、躁状態は一気に終焉を迎え、
冨士夫が『終わりのダンス』を
歌い始めることとなる。
「バンドをもう一度しっかり見直すために合宿をしてぇんだ」
この、甲子園球児のような発想は、
冨士夫の十八番(オハコ)であった。
家族の絆を締め直すのである。
さっそく川口湖にスタジオ付の
合宿場所を見つけた彼らは、
長期のリハーサル合宿に入った。
その合間にライブをやりに
街中まで出向いて来る姿は、
まるで森から現れる動物の如しである。
携帯なんてないので、
私なんぞは、
ことあるごとに打ち合わせに向かうべく
中央高速をひた走る。
気がついたら、
レコーディングも山中湖にある
リゾートスタジオになっていた。
そんなこんなで、
アルバム『Look Around』の撮影は
山中湖在住のカメラマン、
迫水さんに頼むことにした。
川の流れや山々の風景を
シュールな表現で撮影していた
迫水さんの作品は、
当時のTEARDROPSに
マッチすると思ったからである。
『Look Around』というネーミングは
バンドの現状に対するアンチテーゼなのか、
外に向かって発信しているのか、
僕自身はわりと重く受け取っていた。
いずれにしてもこのアルバムで、
バンドは散っていくこととなる。
全てにおいて、これが
『終わりのダンス』だっのだ。
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話を最初に戻そう。
そんなわけで30年振りの
バンド『藻の月』撮影なのだ。
昔と違うところは、
4人のメンバーが
60s〜20sと実に幅広いところだ。
メンバー間には、
実に40年という年の差があるのだが、
面白いくらいに上手くいっている。
それを成立させているのは
何はともあれ、
ジョージの懐の深さなのかも知れない。
若手メンバー2人の感覚と、
ベテラン2人の個性が交わる。
“それが結構面白い”
久々に躁状態になっている
自分を感じているのである。
(1987年から〜現在)
PS/
3月29日満月に
『高円寺ShowBoat』
でLiveを行います。
” Full Moon Surprise vol.1 ”
出演
●藻の月
●まのけばJETT
●リョウ・ユニット
Live Painting by Terrapin Station
18:30開場 / 19:00開演
前売り2200円 / 当日 2700円
※この時期、このタイミングのなか、
はるばるお越しの貴重なる皆さまには、
『月を呼ぶカレンダー』を
プレゼントしちゃいます。
お待ちしております。