167『トケイ(時計)』

北鎌倉から石神井に戻り、
古い平家を改造しながら
気ままに暮らしている頃だった。

玄関だったスペースに床板を貼り、
簡易的な仕事場にしていたのだ。
(昭和風な土間がある玄関である)

であるから、
この家に入るには、
隣りに建っている母家の玄関から
入らなければならなかった。

母家の廊下と平家の縁側とをつなげた、
我が人生と同じような
ちょいと複雑な生活構造だったのである。

だから、当然のように
(仕事場である)
玄関を訪ねて来る人がいる。

しかし、外観は玄関でも
実際は仕事場なのだから、
「呼んだって応えないよ」
ってことにしているのである。

だけど、
中には言うことをきかない輩もいる。
いつまでもしつこく呼ぶのだ。
(考えてみたら当たり前の話なのだが)

そんなときは、
「そこは違いますよ」とか、
「隣りの家の玄関にお回りください」
って伝えるのだ。  

「へっ!?」

どー見ても玄関なのだから、
たいがいの人は渋々とする。
しかし、“そう言われれば仕方ない”
というように指示に従うのであった。

そんなある日のこと、
玄関の仕事場で描きものをしていたら、
玄関の仕事場の古い引き戸を叩く音がした。

見ると妙な人影が立っている。
(玄関の引き戸は曇りガラスになっていた)
シルエットが巨人なのである。
そう、2メートルはゆうに越えるだろう。
しかも頭がとんがっているではないか。

「怪物だ!」

茶の間に居た子供たちが叫んだ!

「父さん、開けないで!」

ビビリの娘が震えている。

生まれたての息子は、
無言のまま寝返りを打とうとしていた。

″ドンドン!″

怪物はなおも引き戸を叩く。

「父さん、ぜったいに開けたらダメだからね!」

ビビリの娘は泣き顔になっていた。

「としちゃーん」

あろうことか、
シルエットの怪物がオイラを呼んだ。

“知り合いか?” 

とってもイヤな予感がした。
聞き覚えのある声だったのだ。
怪物が想像通りの人物だったら、
なるべく近所の人の目にさらしてはいけない。

「やっぱり、あそこの家はおかしいわね」

なんて、
普段から噂しているオバ様たちを
喜ばせることになってしまう。

「ちょっと、待ってくれぃ!いま開けるから!」

仕事場になっている
玄関の引き戸の鍵を開けて、
ガタゴトいわせながら
何年も開けることのなかった
玄関の出入口をオープンした。

「あっ?!エッ!」

怪物は赤い色をしていた。

上半身は八百屋から拝借したのであろう、
玉葱を入れる赤いあみ袋をかぶり、
その頭には、
工事現場でよく見る
赤い尖りコーンが乗っていたのだ。
(重たいのだろう、両腕でそれを支えていた)

怪物に見えたのは、
この努力の成果だったのである。

「としちゃん、遊びに来たよ」

怪物は再び口を開いた。

「いま、仕事をしているから!っていうより、何でウチがわかったの?」

コチラの問いには答えず、怪物は、
″にやり!″と満足げに笑った。

そして、
「じゃあ、また」とでも言うように、
無言で去って行くのであった。

“なんのこっちゃねん!”

それ以来、
その怪物が我が家を訪れたことはない。

……………………

「時を計ると書いて『トケイ』と申す」

怪物の正体はトケイであった。
時には『トキ』とも呼ぶこともある。
本名は知らない。
僕にとっては謎の人物であった。

トケイは冨士夫の古い仲間だ。
ライブとなると何処からともなく現れ、
ステージの前で舞踏のごとき
パフォーマンスをするのだった。

「あの方はスタッフですか?」

ライブハウスからは必ず聞かれる。
それほどにリハの時点で会場に現れ、
終わりまでまとわりつくのだ。

最初は、それがすごくイヤだった。
邪魔だし、得体が知れない。
普通じゃないし、
何というか回転数が違うのである。

だが、慣れてくると逆に興味が湧いてきた。

大手の会社に勤める弟がいるらしい。
実は良い家柄なのではないか。
母親に顔が似ているとかいう
どうでもいいことから、
あえて、可笑しな振りをしているんだよ。
と言う声まで聞こえてくる。

そんなおり、
トケイと一緒に電車に乗る機会を得た。

何故そうなったのかは覚えていない。
目的地が法政大学だった気がするから、
イベントか何かに行く道中だったのだろう。

高円寺あたりから中央線に乗ったのである。
車内は席が埋まる程度に混んでいた。

「失礼して、俺は特等席に行くゼィ」

と言うが早いか、
トケイが慣れた動作で
ドア横のポールから 
荷物用の網棚によじ登った。

それこそ猿のごときである。

あっけにとられるとはこの事か。
一瞬の出来事に
頭の中が真っ白になった。

トケイは決して猿のような小男ではない。
180㎝はないだろうが体格は良いほうである。

″そんな男が乗っても大丈夫なんだ″

なんて、
頑丈な網棚に感心していたら、
座席に座っていた人たちが 
スーっと音もなく移動を始めた。

「おーっ、下界の者どもが散りよったな」

っと、網棚の上から神の如くに振る舞うトケイ。

席が空いたので僕は対面のシートに陣取り、
このあり得ない現実を眺めていた。

駅に着くたび、
無表情で乗り込んで来た人々が、
網棚に存在するトケイに気づき、
″ギョッ″として移動していく。

それはけっこう滑稽で面白い景色だった。

今だったらSNSで拡散されて、
クレームで炎上するのかも知れないが、
まだまだおおらかな時代だったのである。

……………………

「トケイが歌えればな」

と言った冨士夫に“ギョッ”っとしたことがある。

トケイをヴォーカルにと、
考えたことがあったらしい。

舞踏的なパフォーマンスの
価値観は計り知れないが、
それはやはり違う話だろう。

10数年も前になるだろうか、
冨士夫の家で日常をおくっている頃、
突然にトケイが庭に現れた。
ぬっと窓から顔を覗かせ、
あっという間に去っていったのである。

「なんだったんだろう?」

訳が分からなかったが、
その不思議さがトケイでもあったので、
さして気にすることもしなかった。

その数日あとである、
彼の訃報が伝わったのは。
病死であった。

僕にとっては、
最後まで謎の人物だったのだ。

お別れの挨拶に来てくれたのである。

……………………

ところで、
『藻の月』のジョージは、
そんなトケイを受け入れて
ライブをしていた期間があるのだとか。

詳しく話を聞こうと思って、
コチラの『とっておきの奇抜なトケイのエピソード』を話してみた。

つまり、前述した2話である。

そうしたらジョージは、
グビリとワインを喉に流し込み、

「トケイはそのカッコウでウチにも来たよ。網棚だろ?電車に乗る時の特等席なのさ」

笑うこともなく、
あっけなくそう返してきたのである。

僕はガッカリした。

この2つの逸話は、
けっこう宝ものだったからだ。

そうか、あれは、
誰にでも見せる奴の得意技だったのか…。

………………………………

当時の我が家に来るには
駅から歩いて20分はかかる。
何の特徴もない農村住宅地だから、
探すのに苦労しただろう。

誰から聞いたのか知らないが、
そんなところまで玉葱のアミ袋を着て、
工事用の尖りコーンをかぶり、
たぶん、とっても迷いながら
やって来たのだと思うと途方もない。

「時を計ると書いて『トケイ』と申す」

実際のトケイは恥ずかしがり屋だった。

正面から話しかけると
スルッと魚のように逃げた。

つまらない日常を
面白くしたかったのだろう。

こっちもまだ若かったから、
彼のパフォーマンスに
ただドギマギするしかなかった。

でも、その存在感だけは
いまだに心の奥に刻まれている。

楽しい思い出の中の時を計るように…。

(1984年頃)

PS/

4/27火曜/東高円寺・UFO Club

出演
●藻の月●The Ding A Lings●and I
17:00 Open 17:30 Start
adv2300 / door2800 yen

17:30 and I
18:20藻の月
19:10 The Ding A Lings
20:00 終了

コロナ禍の中、時短の影響もあり、
複雑な状況が続いております。
どなた様も充分に注意してお過ごしください。
今後も突然の緊急事態宣言等で、
ライブの内容が変更される事態も考えられます。
その度にお知らせさせていたしますので、
よろしくお願いいたします。

Follow me!